今回はFIREネタです。
新型コロナウィルスの全世界的蔓延、それによる各国経済の縮小は、FIREという動きにも大きな影響を与えています。
そんな中から生まれてきた「DIRE」という言葉についての紹介と、私なりの考えを紹介します。
<目次>
FIREのダークサイド
私がDIREという言葉を知ったのは、「ファイア@いつかはFIRE!」様の下記の記事です。
DIREという言葉に聞き覚えがない方は、まずはご一読ください。
記事の内容は、まずこれまで人気だったFIRE(Financial Independence, Retire Early:経済的独立と早期退職)という動きについて、パンデミックにより経済が大きく冷え込んだ結果、FIREも多大な影響を受けたということ。
特に若年層において雇用が減り、投資資金が捻出できない状態になっている状況。もしくはすでにFIREしていても投資資金の目減りにより労働に復帰せざるを得なくなっている人も多いとのこと。
こういう状況下、注目を集めているのがFIREのアンチテーゼ、もしくはダークサイドとも言うべき「DIRE」という考え方である、というものです。
「DIRE」とは?
DIREとは、「Delay, Inheritance, Retire, Expire(遅延、相続、退職、時間切れ)」の頭文字。
コロナショックにより資産構築が「遅延」し、その穴埋めとして親からの資産「相続」に期待する。
「退職」はできても、それは当初予定していた若いうちではなく、すでに「時間切れ」になってからの退職となる。
DIREの意味はこういうことであり、言葉にしてみるとなかなか救いようがありません。
「ファイア@いつかはFIRE!」様も記事のなかでコメントされている通り、FIREという動きには仕事を辞め自由になるというメリットだけではなく、その後の資金計画に大きなリスク(不確実性)を残す、というデメリットが背中合わせに存在します。
そして今回のコロナ禍は、そのデメリットの部分を際立たせました。
FIREの輝く面ばかりを見てきた人が、状況の激変に失望し生み出したのがDIREなのですから、DIREの考え方に救いがないように思うのは当然のこと。
光が強ければ闇もまた深くなる、という言葉の通りです。
決断とは、リスクを呑み込むこと
「会社を辞めて自由になる」というメリットだけが取り沙汰されるFIREですが、その実は大きなリスクを抱えています。
ありとあらゆる状況を想定して準備し、その先にやっとたどり着けるのがFIREだと思います。
独り身ならまだしも家族がいる場合、それこそ「想定外の状況まで想定する」ほど考え抜き、最後には全てのリスクを呑み込んでFIREを決断すべきでしょう。
私は一度はFIREを志し、そして道半ばで考えを変えました。
今は経済的に独立できるだけの資産を構築しつつ、同時に会社のなかで裁量を得て居心地の良い場所をつくり、サラリーマンのデメリットを抑制しつつメリットを最大限に享受しようとする、良いとこ取りの「ゆるリタイア」を志しています。
今後私が会社を見限る、あるいは会社が私のクビを切ることでリタイアする時が来たとしても、私はFIREを人には勧めないでしょう。
なぜなら私を含めたいていの人間は凡人で、リスク(先行きの不確実性)の許容量はそれほど大きくありません。
そして一般論として、会社から独立して生きるよりも、会社の中で生きた方がリスクは低いからです。
許容量に比べて過大なリスクが顕在化すると、人は自責にできず、他者や社会や運命に責任を転嫁しようとするものです。
それは結局、自分の人生を制御できていないということに繋がってしまいます。
FIREの目的は会社から脱し、自分の人生を歩むことのはず。
制御できない人生など、その目的の正反対ではないでしょうか。
FIREにも種類があります。私が目指すものは...
一口にFIREと言っても、その実は色々種類があるそうです。
その種類についても、「ファイア@いつかはFIRE!」様のブログの中で取り上げられています。下記の記事です。
この種別で考えると、私の第一希望はコーストFIRE、第二希望はバリスタFIREです。
会社内で自分の立ち位置と裁量を確保し、居心地の良い場所を作る「ゆるリタイア」を基本戦術として資産を積み上げ、可能ならコーストFIRE、少し無理そうならバリスタFIREを取り入れていくというのが、私の目標とする姿です。
労働が本当に嫌いなら、FIREを優先的に目指すべきです。
しかし実際は労働が嫌いというより、労働の何かの側面(会社の社風、上司、人間関係、仕事内容...)が嫌いなだけ、というパターンも多いと思いのではないでしょうか。
そういう人向け(私含め)には、資産構築と同時に会社の中での居場所を良くしていくことが、リスクを抑制することにつながると考え、実践しているところです。