今回は雑記となります。
以前書いた記事にいただいた反応に対して、ちょうど書こうかどうしようか迷っていた内容がありましたので、これはちょうど良いと(ブロガーの宿命として)飛びついた次第です。
<目次>
元の記事:上司と部下のあり方
元記事では、私の考える上司と部下のあり方について書きました。
会社の状況は千差万別、スタートアップから大会社、業種によっても文化は異なり、一般的に言えることはありませんが、国内資本の上場製造業に勤める私の視座からの意見になります。
内容としては上司に上司らしさを求めるのであれば、部下は部下らしくあるべき。
チームとして持ちつ持たれつである以上、所属するチームのパフォーマンスを改善する役目は、大なり小なり上も下も負っているものであり、誰もが当事者である、といった内容。
そして、「従業員を大事にする」という言葉の裏の意味についても書いています。興味がある方はどうぞ。
いただいた反応と、処方箋
この記事にいただいた反応で、「困った上司」という内容がありました。
「上位の管理職なのに、ロジカルに考えられない・物事を整理できない・本質が見えていない」
という困った上司をどうすればいいか? という内容です。
私の雇われライフはそこそこ長く、20年前後。
その間には、上司も色々入れ替わり、反応で言われたような「困った上司」もいました。
もちろん最初は、「なんなんだあの上司は」と思うこともありましたが、最近では年と経験を積んできたせいか、別の考えをもつようになりました。
困った上司がいたら、ある意味チャンスです。
どうせ愚痴を言おうが文句を垂れようが、会社内では上司の力が上であり、その状況は覆せません。正面切って対決したところで負けるのは自分。
ならば、その状況を利用して自分の利益にするにはどうするか、考えるのが妥当というものではないでしょうか。
そのアイディアに至った理由を、以下で説明します。
*なお明確なパワハラ等、ブラック要素がある場合は論外です。あくまでもこの記事では、一定程度健全な組織(それも、どちらかと言えばメンバーシップ型)の中における、パワハラではない単なる「困った上司」への処方箋を紹介しています。
薔薇は薔薇であり、上司は上司である
「A rose is a rose is a rose is a rose」→「薔薇が薔薇であることは、薔薇が薔薇であるということである」
ガートルード・スタインの著書から引用される、確固たるアイデンティティを表現した有名な言葉ですが、これは上司という存在にも一部当てはまると思います。
*繰り返しますが、ここでは組織がメンバーシップ型の風潮が強く、一定程度健全であり、明確なブラックではない前提です。
つまり、部下から見て「ロジカルに考えられない、考えを整理できない、本質が見えていない」と思われる上司であっても、そこには「上司である理由」が何かあるはずです。
もしかしたらそれは、単に社歴が長いだけかもしれません。
しかし長い社歴というのは、会社の上層部に対する一定の発言権を持つ事が多く、上に話を通しやすいというスキルがあれば、それは「上司である理由」になり得ます。
コネも同様で、社内・社外を問わず「誰かに話を付けやすい」というのは、それだけで重宝される能力となります。
有能な上司なら、正攻法が生きる
では、上司とはどうやって付き合っていったらいいのか。
上司が有能である場合は、方法は単純です。
有能でロジカルに考えられる上司なら、上司の考えをトレースし、求められることを察して、適切に業務執行をしていけばいいでしょう。
そういった上司なら、部下を業務執行能力で適切に評価するはずです。つまり適切な業務執行を行い、上司の期待値を予想していけば、それだけで評価されるはずです。
ただこの方法は、単純ですが簡単ではありません。
有能でロジカルな上司は、部下にもそれを求めます。結果として有能な上司の下についた場合は、自己研鑽を続け、より上のパフォーマンスを出すことを求められることになります。
正攻法ゆえに難しい、というやつです。
飽くなき自己研鑽が苦にならない人には良いでしょうが、私の場合は会社における自己研鑽はもう潮時、ほどほどにとどめたい派なので、こういう上司はちょっと眩しすぎます。
困った上司でこそ、戦略が生きる
逆に、困った上司ならどうするか。
個人的にはこっちの場合こそ、正攻法が通じないだけに搦め手の出番。
戦略が生きる、楽しい状況だと思っています。ハードルは高ければ高いほど、くぐりやすいものです。
ロジカルに考えられない上司は、たいていの場合実務執行能力が低く、社内での手続きなども一人では満足に行えないことが多いように思います。
それを、「何やってんだ使えねーな」と内心バカにしたところで、上司が上司であり、部下が部下であることは変わりません。であればその状況を利用する方が、何倍も有用です。
平たく言ってしまえば、困った上司なら介護してやればいいのです。
上司に代わって様々な雑用・業務をこなせば、信頼度は上がるでしょう。「介護」を長く続ければ、そのうちには重用されることにもつながります。
そういった業務ではスキルが身につかないと言う意見もあるでしょうが、それこそ心構え一つ。どんな仕事も自分の糧にする、という気概が重要ではないかと思います。
困った上司であっても、上司は上司です。
上司が自分の得意分野で力を発揮できるよう、サポートをすることは、組織のパフォーマンス向上につながり、ひいては自分の利益として返ってくるはずです。
実は、記事の内容は・・・
以上が、私の考える「困った上司の取扱説明書」でした。
会社の内容は千差万別、この内容が全てのケースに適用されるわけではありませんが、参考にはなるかと思います。
なお今回の内容ですが、実は半分以上実体験に基づいています。
私が「ゆるリタイア」を志した時、初めに考えたのは「職場での居心地を良くすること」。
そのために上司を観察し、その適性を測り、上司の不得意な部分をサポートしていくという戦略を採用しました。
結果としてこの戦略はうまくハマり、複数の上司のサポートを行いつつ自分の裁量を拡大し、職場を居心地の良い場所に変えていくことができました。
私は管理職ではありませんが、仕事のやり方や労務管理について管理職に準じる裁量を持ち、極論を言えばサボっていてもバレませんし咎められません(もちろん、仕事上で結果を出すことは大前提です)。
なぜなら上司にしてみれば、私は「こいつに頼めばなんとかするし、黙ってても結果は出すから、口を挟まず勝手にやらせとけ」という従業員だからです。
そんな立場になれたのは、「困った上司」の下に付いたからです。
どんな色であれ薔薇は薔薇であり、どんな困った人でも上司は上司です。
たかが従業員一人が文句を言っても職場は変わらず、それなら自分が変わって状況を利用する方が、はるかに簡単です。
おまけに自分にもメリットのある、生産的な行為ではないでしょうか。