今回はポジショントークについての雑記です。
定義に始まり、あれやこれやを気ままに書いていきたいと思いますので、興味のある方はどうぞ。
<目次>
ポジショントークの説明
まずは定義から引いてみます。
1 株式市場や為替市場にポジションをもつ市場関係者が、自分の利益になるよう相場を誘導するために、根拠の不確かな情報を流すこと。
2 自分の立場に有利になるような発言。
(goo辞書より)
どちらの意味にしても、ポジショントークとは「自分あるいは自己の属する集団にとって利益、あるいは有利となるような発言をすること」とまとめられそうです。
個人ごと、あるいは集団ごとに利益となる事は異なり、時には対立もします。そのためポジショントークは巷にあふれており、言葉を口に出す時、文字を書く時にはこれから逃れることは難しいものです。
もしも将来、AI(人工知能)が記事を発信するような世の中があったとしても、ポジショントークから逃れることはできないと思います。なぜなら初期の段階でAIを教育するのは人であり、必ず主観が混じってしまうからです。
*逆に、もしもAIが人間の主観を交えずに教育されたと仮定したら、そちらの方がより非人道的な結果をもたらしかねません。
「マイナスの」ポジショントーク
ところでポジショントークとは、「**を買うべき」「**は良いものだ」と言った、何かを勧めるものばかりを指すわけではありません。
世の中には「マイナスの」ポジショントーク、というものもあります。つまりは「**はダメだ」「**を選ぶのは悪い選択肢だ」と言う、何かを否定あるいは批判するものです。
ポジショントークは良くマーケティングと結びつき、マーケティングは何かの商品への勧誘もしくは販促を目的としています。
なので「**を買うべき」「**は良いものだ」という発言ばかりが、ポジショントークと勘違いされてしまうこともありますが、実際には「**はダメだ」「**を選ぶのは悪い選択肢だ」というのも立派なポジショントーク、マイナスのポジショントークとなるわけです。
賛同も批判も、どちらもその人の主観から生まれたもの。
プラスとマイナスという符号の違いはあれ、本質的には似たようなもので、片方だけを特別視するようなものではないと思います。
ポジショントークの前提条件
では、マイナスのポジショントークを行う理由とは何でしょうか。株式投資を例にしてみます。
買い/売りのいずれでもポジションを取っていて、かつ一定の利益を上げ(もしくは上がる予定で)、さらなる利益を誘導したいと思う人はプラスのポジショントークを行う傾向があります。
そしてプラスのポジショントークとは、過大なメリットに言及することであり、信頼性が低い情報と言えます。
となると、マイナスはその逆。つまり、ポジションを取っていて損をした(している)場合です。
この時は、ポジションについてのデメリットを言う志向性が発生し、かつ過大なデメリットを言う=信頼性が低い情報を言う傾向があるわけです。
以上をまとめると、「利益の上がっている人のメリット情報」と、「損をした人のデメリット情報」は、同程度の信頼性しかないということになります。
「メリットの情報はポジショントークだ」と決めつける意見は、上記の内容や前提条件を無視することが多いように思います。
メリットの情報がポジショントークである前提は、その情報の対象となっているところに競争原理が働き、かつ利益相反が起こりうる場合です。
ある情報が言及している対象がどういった性質を持つのか、その考慮を抜きにしてポジショントークを判断することはできません。
物言えば唇寒し秋の風
私は基本的には否定や批判よりも、肯定や賛同を主に書くことが多い、と思います。(皮肉は多いと自覚していますが)
特にクラウドファンディングについては、私がこの投資に惚れ込んでいるので肯定的になるのは当たり前なのですが、否定や批判を書かないのはそれなりの理由もあります。
何かを批判・否定し殴りつければ、同じ考えを持っている者からはたやすく賛同や喝采を得られます。
例え安っぽい賛同、傷のなめ合いのようなものであったとしても、歪んだ承認欲求にとっては麻薬みたいなものです。一度その快感を覚えてしまったら元に戻るのは難しく、だいたいの場合において思考はより先鋭化していきます。
その行き着く先は、良くあるパターンです。一部の人間とともに、自分たちの世界に閉じこもることになるのでしょう。
私だって、いつかそうなるかもしれません。
誰の心にも、歪んだ承認欲求は潜んでいるからです。
ですのでなるべく否定よりは肯定を、批判よりは賛同を取り上げていきたいと考えているわけです。
「物言えば唇寒し秋の風」、とならないためにも。
まとめ:どっちもどっちのポジショントーク
当記事では、以下のような内容について書きました。
・ポジショントークにはプラスとマイナスがある
・ポジショントークには前提条件があるので、トークが言及している舞台の性質を考慮する必要がある
・批判や否定は、(歪んだ)承認欲求にとっては麻薬
当然、このブログだってポジショントークは隠れているでしょう。主観と客観は分けるように気をつけてはいますが、しょせん主観で書いている個人ブログに過ぎません。
しかし、どうせポジショントークが避けられないのなら、せめてプラスの側でいたいものだと思います。
投資全般に共通のことですが、投資の悪いところだけを喧伝するのは、傍目にはまっとうな意見に聞こえるかもしれません。
しかしそうした発言をする者が損をしていたという場合、発言はただのマイナスのポジショントークに過ぎず、何の解決にもならない上に信頼性にも欠けます。その理由は上で書いてきた通りです。
そして何よりも、損失という実績を伴ったマイナスのポジショントークは、引かれ者の小唄に似ていて、惨めなものに聞こえてしまうのです。
損失は誰のせいでもなく自分のもの。それを次にどうつなげていくか広い視点で考えることが、投資家として目指すべき姿ではないでしょうか。