今回は雑記で、私が投資や投資家(投資クラスタ)について思っていることを書いてみます。
一部首を傾げたくなる考えについての意見です。ツイッターで呟いた内容を、少し膨らませてみました。
<目次>
「なぜ」投資をするのか?
「投資をした方がいい」という言葉は、異口同音に様々な媒体で言われて/書かれています。
かくいう当ブログも投資ブログという性質上、「可能ならば、投資をした方がいい(ことが多い)」というスタンスを取っています(そうでなければ自己矛盾なので当然ですが)。
実際に私も投資にどっぷり浸かっていますので、このスタンスを取るのは自然なことでしょう。
ただし投資の目的を忘れてはいけない、とは常々思っています。
「なぜ」投資をするのか。
それはもちろん資産の構築のためであり、もっと踏み込めば家計の維持継続、幸福追求と不幸の回避です。
私の場合なら、「投資が好きだから」という理由も付け加えられます。
投資は目的ではなく、手段です
「お金があっても幸福にはなれない」「お金では買えないものがある」
良く言われているこれらの言葉は、ほんの一部正しいかもしれませんが、だいたいは間違いです。
世の中の9割くらいのモノはお金で買えますし、9割くらいの不幸はお金で回避できるからです(不幸の回避は、裏返せば幸福の入手と同義)。
またこれも良く言われていることですが、投資は目的ではなく、ただの手段に過ぎません。
投資の目的は多くの場合、資産構築、家計の維持継続、幸福追求と不幸の回避です。
ここまでは当たり前の話です。
そしてここから分かることは、投資は資産構築や家計の維持継続という目的を達するための有力な手段ではあっても、唯一の手段ではない、ということです。
儲けることは「ズルい」のか?
汗水垂らして働く以外の方法で富を得ることは、良くないこと。そう考える人は一定数います。
この考えをどう評価するかは各人の自由ですが、少なくとも資本主義の日本においては、一般論として語れるものではありません。
以前、こんな記事を書きました。
法律に抵触しない範囲で儲けることは、ズルくも何ともなく社会に認められたルールであり、どんな方法で儲けた1円であれ、そこには貴賤はないと思います。
「儲けることはズルくない」「投資は資産構築の有力な方法であれ、唯一の方法ではない」。
この考えを合わせると、この記事のタイトルになります。
投資って、そんなに特別ですか?
狢のお仲間
投資をしていない一部の方が投資など金儲けの行為に嫌悪感や反感を抱くことは、「非生産的だな」とは思いつつも、一定程度理解はします。
一方で投資は資産構築、平たく言えば金儲けを目的にしています。
その投資をしている投資家が、「法に抵触しない範囲での」「投資以外の金儲け」に反感を抱くのは、私には理解できません。
投資は特別な行為でも尊い行為でもなく、労働や副業、転売やYoutuberなどと同じ、資産構築の一手段にしか過ぎません。
もちろんこれは逆もまた真なりで、「投資以外の金儲けを行っている人」が、「投資」あるいは「自分がやっていない金儲けの方法」に反感を抱くのも、また理解に苦しみます。
みんな資本主義のルールの中で金儲けを志向する、同じ穴の狢じゃないですか(笑)。
いや、分かってるんですよ?
最後に腹黒な一言。
先ほど、「投資家が投資以外の金儲けに反感を抱くのは、理解できない」と言いましたが、本当は理解しています。
全員がそうとは言いませんが、反感を抱く人たちの多くは、羨ましさの裏返しなのでしょう。
もちろん私だって、自分より優秀な人や成功している人を羨ましく思います。だからと言って嫉妬や反感を抱いても、自分には一文の得にもならないので、そういう感情とは縁遠くあるように心がけています。
人の幸せに嫉妬や反感を感じる気持ちは、投影された時に自分の幸せを邪魔することにもなりかねません。
逆に人の幸せを我が事のように喜べれば、その投影は自分を幸せにするでしょう。多少スピリチュアルな話かもしれませんが、心理学的には良く言われている事ですし、世の中そんなものだと思うわけです。
それに投資を特別視することは、初心者に対する心理的ハードルを上げることもなりかねません。
そうやって投資を初心者に優しくない世界にすることは、幸福の総和を増やすことにつながらないとも考えています。