今回は雑記、下記の記事の視点を広げたものになります。よろしければこちらもお読み下さい。
<目次>
投資は目的にはなりません
投資の目的を考えれば逆説的に、投資は目的ではないことが分かると思います。
投資の先にあるものは多くの人の場合、資産構築であり、そのさらに先にあるものは幸福の追求や不幸の回避です。
投資は目的ではなく、ただの手段に過ぎません。それも唯一の手段ではなく、有力ではあってもいくつかある手段の一つです。
投資をしなくとも資産構築をする方法はたくさんあります。本業をがんばるもよし、副業に励むもよし、起業してもいいでしょう。
結局はその人に合っているものを見付ければいい、しかも答えは一つとは限らない、というあたりまえの結論になるわけです。
投資家を名乗るための資格
「投資家」と名乗るための資格は何か? と訊かれたら、私は「泣かない・喚かない・他責にしない」と答えます。
自分の判断で投資を行う以上、損も得も自分のもの。
損失は自己責任かどうかはさておき、損失は自分で引き受けなければならない結果であり、他責にしても何も変わりません。失敗を他責にしたくなったのなら、それは過大なリスクを取った時の典型的な症状です。
投資家を名乗る条件は、投資額でも投資の知識でもありません。
何が起きても結果を自分だけのものと心得て、損失に泣き言や愚痴を言わず、不平不満を喚かず、他責にしないという心構えがあるなら、誰もが投資家を名乗れると思っています。
投資家は種族ではないし、不変でもない
ところで見出しの意味ですが、投資家は属性みたいなものだと私は考えます。
投資家は種族ではないので、一度投資家になったら投資家以外を名乗れない、などということはありません。
またある投資家が、投資家であると同時に別の属性(例えば実業家、不動産大家、セールスマーケター、ブロガー、ライター等々)を持ってはいけない、というルールもありません。
投資している人が、投資以外の領域で収益を上げているのはおかしなことではなく、単にその能力があっただけのことであり、セールスやマーケティングスキルのある投資家だっているでしょう。
ある人が「会社員60%、投資家30%、副業10%」という属性を持っているなら、その人はどれを名乗っても良く、名乗りを変えるのもまたアリだと思います。
変化するのは、むしろ当然のこと
ですから、同じ人の名乗り(肩書き)や立ち位置、注力する点が変わったとしても、それは当たり前のこととして受け止めるのが自然だと思っています。
(まったくの反対意見に転向したり、大幅な立ち位置の変動があった場合には、その理由を問うてもいいでしょうが)
投資家やセミリタイアをした人が書籍を書いたり、Youtubeでチャンネルを立ち上げたりするのは、「会社員」が投資や副業を通じて「早期退職」という属性に変わるのと何ら違いはない、と考えます。
人は変化して当然で、むしろ変化しない方が稀です。
資産を構築することは視野を広げ選択肢が増えることなので、資産構築が進むにつれ、注力するポイントが変化したり増えたりするのは自然なことだと思います。
二つの「リ」
投資や業務(本業も副業も含む)、起業の違いは手段の違いであり、そこに優劣という観点はありません。
例えるなら、レゴブロックの色や形が違うようなものです。
存在する観点はそれぞれの手法により異なる二つの「リ」、つまりリターンとリスクだけです。
一人一人の異なる適性や能力に応じて用いる手段を決め、適性にリスク分散とリスク管理を行い、必要なら軌道修正を図る。
これは投資の考え方と共通で、なのでやっぱり投資は目的ではなく、人生をよりよくするための手段だと思うわけです。