今回は雑記です。
「責任を取れないのなら、無責任なことを言うな」という一見もっともらしい台詞。しかしこれは、投資の世界ではブーメランにしかならないという紹介です。
<目次>
まず当たり前の前提条件
「責任を取れないのなら、無責任なことを言うな」
一見もっともらしい台詞に感じるかもしれませんが、少なくとも投資の世界においてはブーメランな発言にしかなりませんし、おそらく一般的な生活においてもそうでしょう。
その理由を紹介していきます。
まず最初の前提条件として、「では誰が責任を取れるのか?」というもの。
自分の投資、自分の生活、自分の選択に責任を取れるのは自分だけ。
ですから「責任を取れないのなら、無責任なことを言うな」と言うのは、「誰も何もしゃべるな」と言っている事と何ら変わりません。つまりそれは、言論封殺に繋がる言葉なわけです。
いんたーねっつは玉石混淆こそ華。
書いてある事全てを真実と信じ、それが真実でなかった場合に相手に責任を負わせることしかできん程度なら、ネットから離れるという自由もあるんやで?(*黒ウサギモード)
確実に儲かる投資とは・・・
投資にはリスクもリターンもあるのが当然です。
*ここで言うリスクは危険のことではなく、リターンの振れ幅のことを指します。
リスクの側面を拡大し、「リスクを言わない責任」を問うのであれば、同時に「リスクを言ってリターンを言わない」という機会損失の責任も問われなければいけません。
さらに言えば投資はリスクがあって当然、投資は無くなっても大きな影響がない余裕資金で行うのが大前提である以上、受け手側もそれを承知して情報を取り入れる必要があります。
つまり投資情報を入手しようと思った時点で、投資のリスクを承知していることが前提になっているわけです。
また、投資の世界においては「確実に儲かる投資」というのは詐欺の別名です。
なので皮肉にも、投資で確実なリターンを紹介しようと思えば、それは「詐欺しか言ってはならない」という自己撞着に陥ってしまう、ということになります。
信用の条件
では、信用できる情報はどこから得ればいいのか?
私見ですが、この世に全面的な信用を寄せられるメディアは存在しません。例えそれが学術論文であれ、公的発表であれ同じことです。
重要なのは複数の媒体から情報を取得し、比較検討して自分なりに妥当と思われる意見を持つこと。
そしてその意見が間違えていたら、何が間違いだったのかを自責の観点から検証し修正することだと思っています。
その上で何かのメディア(人も含め)を信用したのなら、例えどんな結果となっても「信用したのは自分のせい」と思うことが必要です。
信じたのは自分である以上、その責任も結果も自分だけが引き受けなければいけない。当然のことです。
まあもっとも?
信用を自責にできない人が多いから、所謂「信者」という存在が横行し、一部のインフルエンサーが儲かるという世の中の仕組みになっているわけですけどね(*黒ウサギモードその2)
私の考える「信頼」
こんな事を書いていますが、私は多くの他人は善良であり、ある程度の(ここ重要)信頼に足りると考えています。
*無論、信頼した責任は自分にだけあるという前提のもとで。
だからと言って投資のようにお金が絡む場合は、人の性が善良であってもその発言が適切かどうかは別問題です。その人がどんな立ち位置で、どんな利害関係のもとで発言しているかを見極める必要があると思っています。
それと、良く言われることですが自分に不幸(投資の世界で言えば、損失)が起きた時の対応も注目です。
不幸に際して甘い言葉をかける人が信用に値しないのは当然ですが、感情を共有して怒ったり悲しんだりするだけの人も、「後に続かない」という点においては同様です(同情を否定するわけではありませんが)。
安易な共感に堕することなく、冷徹に次の動きを数字で語れる人こそが本当の意味で優しい人なのでしょうし、可能であればそこに近づきたいと思っています。
最後に:投資におけるリスク
そして投資において重要なのは、ともかく楽しむことだと思います。
(もちろん、良い投資はつまらないものだという意見も否定はしません。
単に私は、楽しむべきと考える側なだけです)
投資においての損得はあざなえる縄のごとし、両方あって当然。
損得合わせて ∠(゚Д゚)/イェーイ の心持ちで、ぼちぼちやっていきたいものです(下記記事参照 #HGOYJ)。
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投資で失敗したところで、失うものはせいぜいお金。命まで取られるわけではありません。だったら損失は笑い飛ばせばいいだけのこと。笑い飛ばせないのなら、自分のリスクが過多だったというだけ。
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自分の資産を適切なリスクに晒し、リターンを得るのが投資です。
資産を失っても「まあお金で済むことだし」と思う考え方そのものが、リターンの源泉と言えるのかもしれません。