ソーシャルレンディング投資記録(新)

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世の中は様々な意見や視座があって当然なので、その間で意見の対立が起こるのは日常茶飯事。

そんな意見対立と理解に関して、思うところを書いてみます。

あ、微妙に黒ウサギモード入りますので閲覧注意で。


<目次>

 
 

分かりやすい自己紹介


 ソーシャルレンディング投資記録


寛容を主張する者ほど不寛容。

差別を否定する者ほど差別主義。

非暴力を推奨する者ほど暴力的。


私の見た限り、この言葉はなかなか正鵠を射ていると思います。

ある世界だけがそうなのではなく、政治、人権、あるいは投資など、様々な意見対立が起こるところについて共通で。つまりこれらの主張をする者は、自分はその逆の属性であると分かりやすく自己紹介しているに過ぎません。


こんな主張をしてしまう理由は簡単で、つまり「人は話せばわかり合える(自分の意見に賛同してくれる)」という理想に取り憑かれているからです。

「人は話せばわかり合える」が真とするなら、その対偶の「話してわかり合えないのは人じゃない」もまた真となり、「人じゃないんだから人扱いしなくていい」という危険な考えにたどり着きかねません。


最初から「誰もが話せばわかり合える」がマボロシだと弁えてたら、様々なことを声高に主張する必要もなくなるというもの。

そしてだからこそ、理解してくれる人たちが大事になるわけです。


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コストを支払う側はどちら?


ここで気を付けなければならないのが、意見対立において「どちらの考えが正しいかは重要ではない」ということです。


世の中には様々な立場の違いがあり、視座の違いがあって意見の隔たりが生まれます。


一般に正しいと思われていること、例えば1+1=2も、三角形の内角和が180°であることも、戦争は許されないという考えさえ、時と場合によっては正しくなくなります。

また仮に正しさがあったとしても、正論を振りかざすことが正解とは限りません。


意見対立が起きた際、誰もが考えを主張する権利はありますが、他人の考えに干渉し理解してもらおうとするのなら、主張内容の正しさだけでは不十分で、本人の態度や礼儀が重要になります。

さもなければ、「言いたい事は分かるが言い方が気に食わん」と思われてしまい、相互理解は望めません(*)

前提として、万人の理解は得られないのは先に述べた通りです。


この記事のような「まあ分かる人だけ分かればええやろ」程度の戯れ言ならともかく、広く理解を支持を集めたいのならそれ相応の作法が必要です。


理解を受け取るためのコストを払うのは、常に理解を求める側。

相容れないと思うなら無理に理解を求めず、礼儀正しく無視し合うのが平和への近道であり、リソースの有効利用(つまり、エコ)というものでしょう。
 
 

多数派を装う利点


もう一つ、「理解してもらうコスト」についての話題。


先日ヨーロッパで、環境保護メンバーが高速道路の入口(出口?)を塞いで抗議したというニュースがありました。

他人の迷惑になる抗議活動は当然反感を買い、環境政策を優先事項に掲げる政党からもダメ出しを食らうなど、やりすぎで梯子を外されることになっているようです。


一般に社会は多数派のためにできていますので、少数派にとって厳しいのは自然なこと。

その状況を理解してもらい、状況を変えるための活動をしようとしても、地味では耳目を集められず、派手になれば誰かに迷惑をかけて台無しになりかねない、どうにか折り合いをつけて前進していかなければならないのは大変なことです。


だからこそ、多数派でいる(多数派のフリをする)事の長所があるのだと思います。多数派の側に立てば、理解してもらうためのコストは低くて済みますから。

逆に言えば少数派で居続けるということは、世の中が自分たちに厳しいと覚悟することと等しいです。


なので自分を騙してでも多数派のフリをする部分と、世の中から厳しく見られるのを覚悟して少数派のフリをする部分を、うまく見極めるのがポイントになるのではないでしょうか。


あるいは、世間の理解などハナから捨てる覚悟を持つかですね。FIRE民のように(笑)。
 
 

それでも世間は善良です


今回は黒ウサギモードが随所に入る記事になりましたが、これはあくまでもモード。

私は基本的に人々は善良であり、世間も善良であると思ってます(*)。そして当ブログをご愛顧頂いている方を初め、ネット・リアルのどちらについても私を理解して頂いている方の存在は大変ありがたいものです。

世界全体ではなく、日本の話として


でもここで言う「善良」は全体の話であり、中には妙なのがいるのもまた事実。

そういう相手に対して相互理解を求めてもたいていは徒労であり、また正しさの主張もお互いに無意味。礼儀正しく無視するか、そうでなければオトナとしての対応を取ればいいだけの話です。


また社会のルールについては多数派のフリをするところと、少数派として我を通すところを使い分けることが重要です。

例えば最近は投資税制変更で色々な不満が噴出していますが、ルールが変われば新しいルールに適合するだけのことです。

文句を言っても何も変わらないなら無意味ですし、それでぶつくさ文句を続けるようなら、なんで為政者側にならないの? と疑問に思ってしまいます。まあできないから文句くらいしか言わないのでしょうが(黒ウサギモード)。
 
 



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