今回の記事は、以下の記事の続編のようなものです。
上の記事と同様、口と意地の悪い黒ウサギモードが入っている記事になりますが、よろしければどうぞ。
<目次>
ルールに則った対立
先の記事で、世の中には様々な意見の対立があり、その全てで相互理解が得られると思うのはただの幻想。相容れなければ礼儀正しく無視するのが一番、と書きました。
ただ意見の対立が起きた時、相互理解or無視の二択というのはいささかデジタル過ぎる考え方でもあります。
そこでその中間、つまり本当の理解まで至らずとも、無視もしない方法があるわけで。それがプロレス、つまり一定の作法とルールに則った表面上の対立です。
外から見ている分には興行的な意味合いが強い、というのもまさにプロレスですね。
ところが中にはこのプロレスを理解できない、残念な人たちがいるようです。
プロレスとセメントを勘違いしてはいけません
プロレスはあくまでも対立という構図を取るだけで、本当の対立ではありません。
お互いが言い争いをしたとしても一定のルールがあり、作法を守り一線を踏み越えない気遣いが必要で、終わった後は水に流すノーサイド精神が大事。
ルール無用だったり一線を踏み越える行為に至ったり、あるいは終わった後に禍根を残すようでは、それはプロレスではなくセメント(真剣勝負)です。
この点の勘違いは、時に不幸をもたらすことになるから注意が必要です。
もしプロレスではなくセメントを望むのなら、この国のルールで認められた合法的手段をもって勝負することになりますが、そうなった場合に「そんなつもりではなかった」なんて言い訳はもはや意味がなく、後は手続きが進行していくだけになってしまうわけです。
良くある反論
こういう話になると、良くある反論として以下2つが言われます。
①法的手段は大人げない行為
②受け入れて許すのが正しいあり方
なので、先回りしておきます。
まず①についてですが、法的手段に訴えるのは大人げない行為どころか、まさに大人としての行為です。
罵声に罵声をもって返しては、子どものケンカと一緒。大人なら罵声の証拠を集めて、ある日突然粛々と反撃するのがスマートなやり方です。
「無粋に対して無粋で返すのは無粋の極みぞ。せめてこちらは小粋に決めたいではないか」という某グランドマスターのお言葉、まさにそのままです。
そして②についてですが、受け入れて許すのは相手から謝罪があった場合の話です。
謝罪が十分に真摯であり、かつ和解の条件として提示されたものが納得いくものであった時に初めて、条件を受け入れて許すという選択肢が登場します。
無条件で許せというのは無理筋であり、そんな無理が通るなら相手に「無条件で言うこと聞けやゴルァ」と脅すのも同様にまかり通ってしまうわけです。
まとめ:それはプロレス? セメント?
値動きのある投資の世界では、それが良いことかどうかはさておき買い煽り・売り煽りなど、煽り煽られの関係が日常茶飯事でプロレスも頻繁に発生します。
一方でクラウドファンディングは値動きがないという特徴のためか、煽り耐性やプロレスの作法が身につかない環境にあるように思います(これは私の印象なので、間違っている可能性もありますが)。
以前に当ブログであった例としては、ちょっかいをかけられた当初はプロレスかと思ったのですが、こちらの反論を許さない、主観で決めつける、荒い言葉を使うなど作法が成っていないことからセメント対応を軽く予告したところ、ブログや記事を消して逃亡するというケースが複数回ありました。
ちょっかいかけてきたあげく軽い注意で逃げ出すのは率直に言って無様なのですが、それよりも良い大人としてプロレスとセメントの違いも理解していないというのは甚だ残念です。
「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンは淑女の嗜みですわ!」と、美しいハイエナ様もおっしゃられています。もちろんこの言葉は淑女だけでなく、紳士にも当てはまるでしょう。
というか謝罪もなく記事消しただけで話が終わると思うなら、そりゃセメントを甘く見てるってもんです。オトナの時間は、忘れた頃に突然始まるんですよ?