今回は雑記を一つ。ニュースなどで時たま聞かれる「自己責任」という言葉について、思うところを書いてみます。
厳しい言い方や表現の部分もあると思いますので、不快に思う方はブラウザバックのほどを。
<目次>
「自己責任」とは何か?
まず初めに、自己責任という言葉について定義をさらってみます。
自己責任(もしくは自己責任論、以下同じ)とは、「自分の行動が引き起こした結果は全て自分の責任である」という考え方が基調となっています。
自己責任には明確な定義があるわけではないので、どういった境遇であれば自己責任なのか、あるいは自己責任だから何を為すべきか(あるいは何を為すべきでないのか)などについて決まった考え方はないようです。
もともとは一部のエリート層から始まった考え方らしいですが、現在の日本においては日常生活や大学などへの進学、あるいは会社における成功失敗など様々な場所で自己責任という考え方が広がっており、広がりすぎているとする意見もあるようです。
・・・というのが一般論なんですけどね。思うわけですよ。そんなもんあたりまえじゃね? って。
不平等なら責任はない?
世界というと広すぎるので日本に限定しても、色々なケースで自己責任が持ち出されることがあります。
例えば能力、学歴、就く職業、稼ぐお金、そして将来の境遇。
これらについて、生まれた時点ですでに不平等が存在しているのだから自己責任を感じる必要はない、むしろ自己責任を押しつけるような風潮自体がおかしいのではないか? という声があります。
確かに日本では、能力がないことや努力をしない(できない)ことによる貧困や生活の苦しさが自己責任であるとする風潮や、当事者が自己責任であると受け止める傾向はそれなりにあるでしょう。
ただ私が思うのは、それは平等があっての話でしょ? ということです。
不平等が存在することを責任を感じなくていい理由にするのなら、極言あらゆることを不平等のせいにしてしまえばそれで済みます。投資で損をするのも情報が不平等だから。努力できないのもスタートラインが不平等だから。異性にモテないのも外見や性格が不平等だから。何なら雨が降るのも郵便ポストが赤いのも不平等のせいだと言えてしまいます。
しかし実際に不平等が存在する以上、「世の中は不平等であるのがアタリマエ」という事実から始めなければ、その議論はどこにもたどり着けない無価値な妄言です。
現実を無視して理想に立脚してはいけないのは、これが主な理由です。
ユートピア(理想郷)の語源は「ウートコース(どこにもない場所)」。理想は実現しないから理想なんです。
個人としての目的と、総体としての目的
こういった自己責任論だけでは、社会問題の解決は難しく社会の発展の足かせになるという意見もあります。
私もそれには同意します。同時にそれは、自己責任を感じない言い訳にはなりませんが。
国が発展し文化レベルが発達し、人の多様性が受け入れられるようになった今日においては、社会と個人の目的や行動原理は一部重複するところはあっても基本的にはベツモノです。
社会は社会で問題を解決しなければならないし、社会の発展を目指さなければいけないことには賛成。しかしその目的は総体としての社会の発展であり個人の救済ではありません。
資本主義社会はその構造上、一部を切り捨てることで発展します。換言すれば、一人も見捨てない社会というのは発展が封じられる社会です。
誰もに優しくある社会は理想です。しかしそういった社会における優しさとは、いったいどこから供給されるのでしょうか。「誰もに優しくある」というのなら、誰からも優しさを搾取してはならないし、つまるところ要求してもいけなくなります。つまりこんな世界も、先と同様に「どこにもない場所」なわけです。
ですので個人は社会のシステムをうまく利用しつつ、切り捨てられる側にならないよう努力して正しく成果を出していく。そしてどうにもならなければ、その時はセーフティネットを利用【させていただいて】慎ましく暮らすのがあるべき姿でしょう。
自己責任という、優しい言葉
ところで思うのですが、自己責任って優しい言葉ですよね。
自己責任の定義の一つは、「自分の行動が引き起こした結果は全て自分の責任である」こと。
しかしそれなら私を含めた氷河期世代がエラい目にあったバブル崩壊は、自分の行動ではないから自分の責任ではないことになります。
それでも責任がないからと言って他責にはできず、結局のところ「氷河期世代に生まれた」という事実は自分で引き受ける必要があります。
なので実際は自己責任どころか、「自分の責任・行動によるかどうかに関わらず、自分に起こった結果は全て自分で引き受けて片付けなければならない」が正しいことになります。
これに比べれば、自分の行動で引き起こした事だけ責任を取ればいい自己責任とは、なんて優しい言葉なんでしょう。
結局のところ自分に降りかかった具合や問題は自分の能力が足りず、あるいは適切な努力が足りなかったからと弁えて行動していくしかありません。
運も実力のうちというのなら、運が悪いのも境遇が悪いのも結局のところ自分のせい。つまり、こういうことです。
(引用元:東京喰種:re)