私が約20年勤めた会社を辞めたのは2021年10月末のこと。ふと日数を計算したところ、2024年7月28日時点で退職から1000日になっていました。
ちょうどいい区切りなので、これまでの事を振り返ってみます。内容的に自分語りが多くなってしまうことはご了承ください。
<目次>
退職までの道のり
私は20数年前にとある製造業の上場会社に就職し、退職まで転職はしていません。
それどころか実質的には部署異動もなく、組織の再編成はありましたがほぼ同じ性質の部署にずっと勤めていたことになります。
ただし部署の中での仕事は一つではなく、開発から後方支援までの何でも屋をやっていました。
「新しい技術を研究開発 → 新技術に基づく設備を設計 → 必要部品の価格交渉と調達 → 実際に組み上げる→テストして科学分析する → プレゼン資料作って海外工場に売り込む → 海外工場まで行って据え付け調整 → 現地スタッフに教育&引き継ぎ → 帰国して伝票処理完結 → よし、次は社内監査対応だ」
をほぼ一人でやってたというのは、なかなかレアケースなんじゃないかと。しかも海外工場にいる間に日本の事務作業までやってたとかもうわけわからん。
そうして仕事が忙しくなり収入が増え支出が減り、また投資もそこそこうまく行ったことにより資産が積み上がり、やがて気づいてみるとFIを達成していました。そして私の勤めていた会社は私から見てFIを達成してなお働き続ける魅力には欠けていましたので、なんだかんだありながら2021年10月末に退職をしたという経緯です。
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ゆるリタイアについて
私の退職までの方針を、以前に「ゆるリタイア」と名付けたことがあります。
ゆるリタイアは一般的なFIRE同様、収入を上げ支出を抑え資産を構築するところまでは共通していますが、会社における居心地の良い立場を同時に追求していく点が異なっています。
その立場が維持される限りは会社で適当に適切に労働を続け、立場が奪われそうになった場合は退職カードを切ってでも交渉し、交渉が決裂すればその時はあっさり辞める。言葉にすると単純ですが、REを意識しつつ会社内での立ち位置も固めるという矛盾した行動が必要になる戦略です。
「ゆる」と名前は付いていますが、ゆるいのはREに向かう積極性であり、行動自体は決してゆるくありません。だからこそ成功した場合には得られるものも多くなるわけです。
また会社での立ち位置を固めるというのは、会社内で居心地の良い環境を作ること。
そのためには会社になくてはならない人材になるのが一番ですが、残念ながら私のような凡人ではどうがんばってもナンバーワンにはなれませんし、無論のことオンリーワンなど夢のまた夢でした。
なので私が採用した方法は、スキルのかけ算です。
ありふれたスキルであっても、数多くのスキルを持つことで貴重なスキルとなります。例えば「技術者」は社内にたくさんいても、「英語に不自由がない」スキルをかけ算すれば数は減り、「プレゼンテーション」スキルをかけ算すればそろそろレアスキルの仲間入り。
ここに「行程データ分析」「コスト分析」「科学分析」「契約書関連」などのスキルを組み合わせていけば、例え一つ一つのスキルが二流であっても会社にとっては「こいつ辞めたら代わりは一人じゃできないから面倒」な人材のできあがり。
そうすれば社内で多少の融通は利くようになりますし、会社での居心地も良くなるというものです。
投資遍歴
私の投資遍歴については何回か話したり書いたりしたことがありますが、投資歴は下手の横好きで20年ほど。
最初はほぼ何にでも手を出している雑食もとい雰囲気投資で、そこそこ利益を上げたこともあれば、リーマンショック直撃、ライブドア直撃、FXロスカット×10回くらい、グロソブ狼狽売り、新興国通貨高値掴み爆損などの伝統芸能をだいたいこなしてきました。こなしてないのは先物爆損くらい。
それでも相場に向かい続けていれば、いわゆる「稲妻が輝く瞬間」が来るわけで、私にとっての瞬間は2012年の政権交代でした。この時に現金資金のほとんどを各種投資商品につっこみ、その後の黒田バズーカで売却することで資産が倍くらいになりました。
そのままホールドしていれば、今は倍どころか平均で5~6バガーくらいになっていたかもしれませんが、資産が増え続けていくのを見るのがストレスになったのである程度で売却を決断しました。
この時気づいたのが、私は値動きある投資に向いていないという自覚です。
爆損してストレスになるのは当たり前のことですが、爆益がストレスになるというのは値動きそのものがストレスだということ。こうしてあらかた利益を確定させたSALLOWは、値動きのないクラウドファンディングに隠居したというわけです(笑)。
長期休暇1000日の感想
2021年10月末に会社を退職し、それから1000日の長い休暇に入ったわけですが、感想としては「思ったより何も変わらないな」というのが率直なところ。なお曜日の感覚はまだ残っていますが、祝日の感覚は無事消滅しました。
もっともFIRE後の生活が劇的に変わるようでは、FIRE生活の持続性にGC注記が入ってしまう可能性が高くなるので、思ったより変わらないというのは良いことなのでしょう。
FIREは一つの到達点に過ぎないとは言え、最初のゴールテープを切ったことには変わりなく、次に何か始めるまでその後の生活は長い後日談のようなものです。物語において後日談が語られる機会が少ないよう、その後は変わらない日々が過ぎていくのが自然なのかもしれません。
私はギリギリ億り人に指先をひっかけた程度ですが、知り合いにはすでに私を超える資産を持っていて、それでもなお突っ走っている人がいます。
すごいなあとは思うけど、真似をしようとは思わないしそもそもできるとも思っていません。私はもう少し後日談の中にいたいので今はこれで十分ですし、十分じゃないと思った時には動くだけのことです。
いざ動くときに1000日の長期休暇で錆び付いた能力でどこまでできるかは分かりませんが、それなりのことはできるでしょう。会社員時代から必要な能力を即興で取り付け、不要になった能力をパージしてきた無専門何でも屋の本領発揮・・・になるかもしれません。
不都合も不具合も楽しむ
よく言われることとして、
「年を取ると以前にできていたことができなくなる、だから若いうちにやっておいた方がいい」
という考えはある程度同意しますが、私は完全には同意しません。
人間は生まれた場所、素性、能力によってそもそもできることが違うわけで、そういった選択肢を決める要因に年齢が加わっただけだと私は考えています。つまり、年齢だけを特別視する必要はどこにもありません。
加齢によりできなくなることはあるでしょう。しかし何か一つできなくなれば他のことを探せばいいわけですし、選択肢に制約条件が付くことは悪いことではありません。会社での技能のように興味の対象を取り付けたりパージしたりすることは、何でも屋としてはそこまで違和感ある行動とは思えないわけです。
一度はゴールテープを切り、社会における競争から降りる決定をしたのがFIREです。
であれば今さら勝ち負けや優劣などにこだわる必要はないはずで、それなら不都合や不具合のあるハンディキャップ「も」楽しむのが、人生の妙味ってものでしょう。