今回は雑記になります。
兼業投資家・会社員としての自分の考えに、マズローの欲求5段階説を混ぜて記事にしてみました。
会社を箱に例えれば、あなたにとってはどんな箱でしょうか?
<目次>
マズローの欲求5段階説
まず最初に、当記事の主題である「マズローの欲求5段階説」について。
ご存じの方も多いとは思いますが、簡単に説明します。
(画像引用:https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/ma/maslow)
マズローの欲求5段階説を提唱したのは、心理学者のアブラハム・マズロー。
その主題は、「人は、自己実現に向かい成長するもの」と仮定し、人間の欲求を5段階に分解、理論化したもの。
基本的な欲求が満たされれば、人はその一つ上の欲求を満たそうとするという、人の基本的な行動を説明しています。
①生理的欲求:生きていくための基本的欲求(食欲や睡眠欲など、満たされなければ生命維持ができない欲求)
②安全欲求:安全な暮らしへの欲求(健康状態の維持、基本的な暮らしや経済安定性など)
③社会的欲求:他人や会社から受け入れられたい欲求(集団への帰属、愛情の欲求など)
④承認欲求:他者から尊敬され、認められたい欲求(地位、名声、利権など。あるいは自立性、技術や能力の習得も含む)
⑤自己実現欲求:あるべき自分になりたいという欲求(自分の能力を最大限に発揮し、自分のなりたいものになること)
⑥自己超越:自分の利益を考えず、目的のみを純粋に求める領域
6番目の自己超越は、マズローが晩年になってから提唱した最終段階。
ここまで届く人(目指そうと思う人を含む)は数少ないですし、私もここまで届くとは思えません。夢見る座ですね。
承認欲求のための箱
会社を「承認欲求のための箱」ととらえる人は、まちがいなく一定数います。
大きな会社(特に、日本の古くからの会社)、あるいは昔の価値観を持っている人にとっては、会社は承認欲求を満たすための箱になるでしょう。
まずは最初に、安全欲求(つまり、生きていくための給料)のために会社に入る。
上司やお客様に怒られたり、落ち込んだりすることも乗り越えながら、やがて会社に受け入れられて社会的欲求を満たし、そのうちに昇進して承認欲求を満たす。
これは良くあるケースであり、ある意味正しい会社員のあり方でしょう。古くさいイメージもありますが、まだまだこのような価値観は脈々と受け継がれています。
ただ気をつけなければならないのは、マズローは承認欲求を「低い」段階と「高い」段階に分けているということです。
「低い」承認欲求とは、地位、名声、利権などを指します。
分かりやすく、他者からの羨望を集めるものですが、マズローはこの段階にとどまり続けることを危険と言っていることには、注意が必要でしょう。
分かりやすく、他者からの羨望で成り立つ承認欲求は、気軽に反転します。
一方で「高い」承認欲求、つまり自立性、技術や能力の習得などによる自己尊重感は、外部環境によっては反転しません。
外部からの承認を求めるより、自己の承認(言い換えれば自己満足)で動くのが最強、ということでしょうか。
おもちゃ箱という箱
別の考え方もあります。それは、会社はおもちゃ箱だという考え方。
これはベンチャーやスタートアップ、あるいは起業したり、自らが「これがやりたい!」という確固たる意識を持って会社組織に入った場合に多いと思います。
自分がやりたい事と、会社が目指すことが一致していれば、会社は楽しいおもちゃ箱でしょう。
当然ながら、一個人と会社では持つリソースは比べものになりません。
そのリソースを利用して、良い製品(あるいはサービス)を世に送り出すというのは、先ほどのマズローの欲求5段階説で言えば、安全欲求から自己実現欲求までをまとめて満たす、ある意味理想の働き方です。
ただ、このような働き方はリスクがないわけではありません。
一般論ですが、会社が小さいうちは財務状況が不安定なことが多く、事業がコケれば失職(倒産)し、安全欲求ごとひっくり返ってしまう危険性があります。
(優秀な人なら、どん底すら楽しんでまた返り咲くでしょうが)
大会社になればなるほど、簡単には潰れなくなりますが、組織が大きくなればなるほど、会社の目的と従業員の目的は乖離することが多くなります。
このトレードオフは構造上のもので、解決はなかなか難しく、各自が納得できる道を探すしかないでしょう。
道具箱という箱
私にとって会社とはどんな箱なのかと問われれば、私は「道具箱」と答えます。
これ以上の昇進に興味がなくなった時点で、承認欲求(特に外部からの承認欲求)はほぼなくなりました。
ですから私にとって、会社は承認欲求を満たすための箱ではありません。
かと言って、会社をおもちゃ箱とも思えません。
まず会社と私の目指すところは、大きく異なっています。
それにおもちゃ箱なら、誰の許可もなく中身を勝手に取り出して遊ぶことができますが、会社における私はそこまでの権限はありません。
私にとっての会社は、自己の目的を達成するための道具が詰まった箱です。
その道具とは、そこそこ安定した給与、福利厚生、社会保険料の折半、上場会社の従業員である社会的信用、会社のリソースの一部を承認があれば使えること、などです。
結果を出すことを大前提として、私は非管理職でありながら、仕事の進め方や労務管理について、管理職並の裁量を黙認されています。
この道具を上手く使って、承認欲求はほどほどに自己実現欲求へ進んでいるのが、私の現状です。
最後に:casketという箱
会社をどんな箱に例えるか、について、欲求5段階説も交えて記事にしてきました。
会社や仕事をどう捉えるかは、その人のライフステージ、会社内や会社外の立場、資産構築の度合い、果ては趣味嗜好にもよるところがあり、何が正解、何がまちがいという類いのものではありません。
ところで、「箱」を英語で訳すといくつもの単語になりますが、その一つは「casket」。
casketには、「棺」という意味もあります。
会社を棺とする生き方だけは、私はしたくありませんし、できそうもありません。
会社と運命を共にするのは、役員だけで十分です。そういう意味では、オーナー社長にとって会社とはまさに「棺」でしょう。
ところが往々にして会社が傾きかければ、役員が最初に逃げ出すことが多いのが現状です。
それを悪いとは言いません。しかしそれならなおのこと、ただの従業員が好き勝手に振る舞って悪い理由もなかろう、と思うわけです。