今回はFIRE(セミリタイア)についての雑記です。
*定義は様々あるでしょうが、当記事においてはFIREとセミリタイアを同じ意味として用いますのでご了承ください。
<目次>
FIRE(セミリタイア)は逃げに非ず
最近ではセミリタイア、FIREという言葉が広く取り上げられるようになりました。
しかしその一方で、「転職ならともかく、少しだけ働く・自分の好きなことをして働くというのは、仕事に対する甘えた態度、逃げじゃないか」という意見も散見されます。
私も数ヶ月前勤めていた会社を辞める際に、この類の言葉を投げかけられたことがあります。その発言の元は、決まって上司側からでした。
*ちなみに同僚や後輩の態度は、奇異と羨望のミックスと言ったところでした。
FIREを志す側からすれば「FIREが逃げ」という意見は失笑ものですが、上司側の立場も考える必要があります。
上司側は会社に長く居て、多かれ少なかれ会社側に近しい位置にあります。
その上司の口から会社を辞めFIREする人間を肯定する意見を言えば、組織(*)に影響を与えるかもしれないからです。
*特に組織が、俗に言うJTC (Japanese Traditional Company)である場合はこの傾向が顕著です
人生の価値の並置
ベストセラー本「Your Money or Your Life」で提唱された内容に、「自分の人生の時間(寿命)に対して、仕事で費やされた費用と時間を並置(=対等に)するという前提」があります。
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この考えをもう少し広げると、それは人生における様々な財産を並置することにつながります。
家計が持つ金融資本のみならず、人的資本(本人の価値を生み出す能力)、社会資本(人とのつながり)、さらには時間資本(≒自由に使える時間)などです。
FIRE(セミリタイア)とは、金融資本の一部を用いて人的資本、社会資本、時間資本など他の資本のあり方を再構築する行為と言えるのかもしれません。
それは大げさに言えば自分の人生を再構築する行為であり、自分を取り巻く全てを業務内容とする「自分会社」のビジネスモデルを見直す行為。
だからこそFIREは逃げでもなんでもない、と考えるわけです。
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FIRE(セミリタイア)は選択肢
FIREについて、「会社を辞めても何か仕事をしていたらリタイアじゃないじゃないか」という意見が散見されますが、それはFIREの本質を見誤っていると思います。
私の考えるFIRE(以後、セミリタイアを含む)の価値は、選択肢を広げることです。
FIREにおける「Retire」という英単語には複数の意味があり、その人によって「一切仕事をしない」ことも「フルタイムで働かない」ことも、「今勤めている会社を辞める」ことも、全てRetireのうち。
人は千差万別、FIREやセミリタイアに万人受けするロールモデルは存在しませんから、その人の責任の元に好きな道を行けば良いのだと思います。
例えば私の勤めていた会社ですが、少なくとも後10~20年は成長する、あるいは維持することができると予想しています。
金融資本が貯まったとは言え、なぜ会社生活という安定を捨てたかと言えば、「会社が無事でも組織が無事かどうかは分からない」からです。
会社が存続していても、というかむしろ会社全体を存続させるために、その裏側で一つの組織とそこに所属する従業員が厳しい状況を背負う可能性は十分にありました。
そうなる前に金融資本を用いて、FIREという手札を切ったのが数ヶ月前の私の状況です。
(その前に「ゆるリタイア」状態で、気ままに働きながら給料泥棒をする生活も数ヶ月ながら堪能できました)
FIREはむしろリスク選好
タイトルに戻ります。
私にとってFIREはリスク回避の手段では無く、むしろリスク選好の手段です。
と言うか、リスクの回避を考えるならFIREはしません。
これは、投資の考え方と相通じるところがあると思います。
投資はリスクを分散し管理した上で、自分の資産を適切なリスクに晒してリターンを得ることです。
これは投資のみならず、生活においても同じ。
ある程度自由にできる金融資産を用いて、自分に制御できると判断したリスクを選好し、結果として生活全体のリスクを分散し管理下におき、幸福度というリターンを得ること。
これが私の思うFIRE(セミリタイア)の解釈。だからFIREはリスク回避に非ず、というわけです。