今回は投資手法全般に関しての雑記です。
これまでも散々言われてきたことではあるのですが、定期的に取り上げるべき内容なので書くことにします。
<目次>
- いろいろ分解してみます
- 前提:正解はない
- 最適解がない理由① 外部状況の変化
- 最適解がない理由② 自己状況の変化
- 最適解がない理由③ 人の趣味嗜好
- 最適解がない理由④ 多数派は論拠にならない
- 結論 最適解の在処
いろいろ分解してみます
最初に書いておきますが、本記事の要旨&結論は「投資に最適解は存在しない」という事に尽きます。
特定の属性を持つ集団向けになら「様々な異論ものみ込みつつ、最適と言えなくもない投資」は存在するでしょう。それでもせいぜいこのくらいの表現に留まりますが。
ましてや一般論として最適な投資というものはあり得ません。以下、その理由を羅列していきます。
なお今回はそこまで性悪黒ウサギモードではないですが、多少黒いところが見えるかもしれませんのでその点はご注意を。
前提:正解はない
最適解がない理由を羅列する前に、最適解以前の前提を一つ。
それは「投資に正解はない」ということ。これを証明するのは簡単です。
もし投資に正解があると仮定すれば、現代の情報伝達速度からして正解の情報は一気に広まります。
結果として市場参加者の多くがその「正解」に殺到することになりますが、投資には買い手と売り手、つまり需要と供給が必要です。その一方しか存在しなければ市場そのものが成立しません。
この瞬間市場が成立しているということは、投資に正解はないという何よりの証明です。
最適解がない理由① 外部状況の変化
投資に最適解がない理由、一つめは外部環境の変化です。
言うまでもありませんが、経済のみならず社会を取り巻くあらゆる環境は常に変動し移り変わっていくものです。
インデックスはそれらを包括するから最適解という主張もありますが、それはコストパフォーマンスならぬエフォートパフォーマンス(努力対効果)を考えた上の「努力を最小限とした場合の妥当解」であって、最適解ではありません。
最適とは読んで字の如く「最も適しているもの」を指します。
それならば時々の外部状況により、最も適した投資商品が長期または短期で変わるのも自明のことです。人の認知には限界があるとしても、自分が知っている投資商品の中で最適なものは常に変わり続けるものと考えるべきでしょう。
そして黒ウサギ的に言えば、もし一つの投資手法しか知らないのなら、それは最適を知っているのではなくただ無知なだけです。
変化に即した投資商品を適切に判断することが可能か、再現性があるかどうかは関係ありません。世の中には複数回に渡って適切に判断し財を成した人がいる(*)、そのことが十分な証左となります。
*少数派は証左にならない、という意見については本記事の下「最適解がない理由④」をどうぞ。
最適解がない理由② 自己状況の変化
投資に最適解がない理由その①は外部環境でしたが、②は内部環境、つまり投資家自身の状況です。
当然のことですが、投資家及び取り巻く周囲の状況は変化していきます。
そして外部環境と同様、自身の状況変化によっても最適(もしくは妥当でも)とされる投資手法は変わってくるわけですから、現在の投資手法から卒業することは常に考えておくべきでしょう。
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例えば一般的に妥当と思われている「長期・分散・積立」投資であっても、この手法が有効であるための前提条件が存在します。
それは資産構築活動を当分の間続ける見込みが立っていること。もしくは自分の後に同じことができる後継がいること。もしもこのような前提条件が成立しなくなった場合はどうするのか、代替プランを考えずに投資を続けることは、方針なく投資を続けることと同様の危険を孕みます。
最適解がない理由③ 人の趣味嗜好
当然のことですが、人にはそれぞれ趣味嗜好があります。
そして投資は人が行うものである以上、各人の性格や状況の違い、趣味嗜好の違いを無視するのは机上の空論です。人の多様性を排した最適解の議論は無価値にすぎません。
もしも一般論を言うのなら、「こういう人には向くがこういう人には向かない」という注釈を付ける必要があります。このためX(Twitter)などの限られた文字数のプラットホームでは、一般論を語るには向きません。
現代において投資は誰しもが行うべきもの、少なくとも経験してみるべきものだと考えますし、今後資産構築の一手段として投資の占める割合はさらに大きくなることでしょう。
だからこそ投資は何が最適かという観点よりも、何が自分に合って続けられるのかの方が優先。それが見つからないうちは、少しくらいはコケる覚悟で色々手を出してみればいいんです。どうせ投資を続けていればどこかでコケるのですから、コケる練習だって必要です。
様々な投資商品との適切な比較をしないままの一般論は、それを目にした人に「攻略本症候群(*)」を引き起こす恐れがある有害な情報です。
*多様な情報が手に入る現代、何につけても最適な攻略法があると妄想することから発する様々な悪影響。主な悪影響は何かor誰かへの盲信、思考の硬直化及び先鋭化、攻撃性の亢進、投資における損失確率の増大(SALLOW命名)。
最適解がない理由④ 多数派は論拠にならない
最後に、最適解がない理由の4つめ。
ある投資が多数派であることから、皆が選んでいる投資=最適と主張する意見がありますが、この主張への反論は簡単。
「投資の世界は民主主義ではなく、多数派であることは論拠にはならない」です。
皆が選んでいるものが最適なら、この世で最も適している(≒美味しい)食べ物はマクドナルドのハンバーガーとコーラになる理論とも言い換えられます。
むしろ投資においては「人の行く裏に道あり花の山」という言葉もある通り、人と異なる投資手法を採る少数派こそお宝を見付けやすい傾向があります。その代わり地雷を踏みつけることも多いですが。
広義で言えばこれもリスクリターンの話であり、リスクを多めに取る少数派であるもよし、リスクをそこまで取らない多数派であるもよし、どちらも個人の自由であって優劣や妥当性を語る性質のものではないということです。
そして最適解がない理由①で言及したことですが、多数派であることが妥当性などの論拠に使えないのであれば、同時に少数派であることはその主張を否定する材料としても使えません。
投資商品を乗りこなし、財を成した人は間違いなくいます。その手法に再現性があろうがなかろうが、それは当人の実力と努力と運によるものでしかありません。
というかぶっちゃけ、再現性を言うのなら投資は手法ではなく入金力こそが正義です。投資手法の優越性を語る暇があるのなら、その労力を入金力アップへ向けた方が資産構築は間違いなく改善するでしょう。
それができないから、自らの投資手法の優越性を主張するという代償行動を起こしているのかもしれませんが(黒ウサギ)。
結論 最適解の在処
以上、投資に正解がない理由から始まり、最適解がない理由を分解していきました。
最適解がない理由①~④のうち、①については同様の属性を持つ者は同様の影響を受けやすい傾向がありますが、それでもその人により影響の大小や種類は変わります。
②、③についてはまさに十人十色であり、④については補足する理由です。
以上より結論すると、ある集団において投資の最適解が存在するためには、その集団の構成員が多くの側面(年齢・職業・年収・性格など)で似通っている必要があります。
ところで現実はそうではありません。ですから最適解は「ない」。あるいは「その人の中にしかない」が正解でしょう。
私は時々、投資手法の違いを宗派の違いに例えます。それは信仰が「他者に迷惑をかけたり他者の信仰に踏み込まない限り」各個人の自由であり、優劣を付けるものではないからです。
一方で自らの宗派の優越性を語るために、他の宗派を貶めたり攻撃したりする行動が何を引き起こすかは、歴史を紐解けば自明の理です。
これは投資手法にも同じ事が言えます。そもそも投資とはどこまで行っても自分のため。他者と競ったり優劣を付けたりする性質のものでないことは、投資を行う者にとって義務教育レベルの常識です。