今回は雑記です。
たまには時事ネタを押さえておこうということで、メニューは「ハロウィンの話題・資本主義風味」でいってみます。
本記事には多分に私の視点が混じっていますので、興味のない方や気に障る方は回れ右をどうぞ。
<目次>
ハロウィンの由来
最初にちょっとだけ、ハロウィンの由来を調べてみました。
ハロウィンはどんな日? というと、日本風に言えば「お盆」のようなものです。
(*ものすごくざっくり表現した場合です。細部はずいぶん違います)
もともとは2000年ほど歴史のあるケルトのお祭りで、ケルトでは10月31日が1年の終わりと考えられ、この日には此岸と彼岸を分ける門が開き、死者の魂や魔女、精霊などが現世へやってくると信じられていたようです。
これとは別に、キリスト教で11月1日が「諸聖人の日(All Saints' Day)」と定められたことが結びつき、10月31日は「万聖節前夜」と呼ばれるようになりました。
「万聖節前夜(All Hallow’s Eve)」が略されてHalloween、なので二文字目はEではなくAなわけです。
前述の通り、ハロウィンの夜には魔物たちも現世を闊歩しますので、身を守るために魔物の装いをすることで彼らの仲間と思わせることにしました。これがハロウィンの仮装のルーツらしいです。
ちなみにハロウィン発祥の地は北アイルランドのデリー、おなじみの「Trick or Treat?」は、1930年頃から始まったことだとか。
日本人とハロウィン
私自身はハロウィンについて特段の思い入れはありませんが、日本の文化としてはすっかり定着した感があります。
もともと日本の文化は混交の文化。良いもの、面白いもの、興味のあるものは節操なく取り込んで自分のものにするものですし、ハロウィンがこのように取り込まれるのは、むしろ当然でしょう。
そしてハロウィンは、イベントから宗教色を取り除くことのうまい日本人の気質と、ビジネスになると感づいた仕掛け人たちの手によって、日本に急速に溶け込んでいきました。
クリスマスバレンタインデーと異なり、ハロウィンの「参加資格」は緩く、また仮装による非日常も楽しめるお祭り。
こういった事情も重なってか、現在ハロウィンの市場規模は1000億円以上と、バレンタインデーにも匹敵しています(今年は新型コロナでどうなるかは微妙ですが)
下記の記事では、ハロウィンのことを「クリスマス脱落人類補完計画」と評しています。身も蓋もないですが、これはなかなか、言い得て妙な表現ではないでしょうか。
お祭り騒ぎと資本主義
1000億円規模の経済効果が出ると分かれば、放っておかないのが市場。
この季節になるとショッピングモールはハロウィン一色、関連グッズや仮装グッズの売り上げも好調。
今年は新型コロナの影響もあり、多少は陰りが出てくるとは思いますが、これからも日本の定番のお祭りとして、ハロウィンが続いていくのはまちがいないでしょう。
ハロウィンでお祭り騒ぎをする人について、私はああはなれないな、と思いながら特に印象はありません。
(飲んで酔ってトラックを横転させるのは論外ですが)
投資家としては、消費して経済回してくれてありがとうございます、と感謝を述べるのが筋でしょう。
お祭り騒ぎだろうが、宗教色の漂白された中身のないイベントだろうが、経済を回すのであれば資本主義としては歓迎。
日本におけるハロウィンは、そういう姿で取り込まれたのではないかと思います。
現実の怪物を味方につける
ハロウィンにつきもののジャック・オー・ランタン。
もともとケルトでは、カボチャではなくカブを使っていました。ジャック・オー・ランタンの由来は悪行を働き、悪魔を騙したために、天国にも地獄にもいけず、カブのランタンをもって彷徨うジャックという男です。
物語の世界ならこのように、勧善懲悪の綺麗なオチも付くでしょうが、それは「現実はそうではない」ことの裏返し。資本主義には見えざる手はあっても、神様はいません。
ハロウィンは一日限りのお祭りですが、実際の資本主義は毎日がお祭り騒ぎ。様々なお化けが飛び交っています。
幽霊の正体見たり百鬼夜行、などというのも日常茶飯事です。
もっとも、現世のお化けは人を食いません。
それどころか味方に付けることもできますし、利用もできます。そう考えれば昔話や物語と比べ、ずいぶん難易度は落ちたものだと言えるでしょう。
ここで私の言う「お化け」とは、ルールであり力(権力・資本力・能力etc)のこと。
各自で飼い慣らし、味方に付けていかなければならない存在です。
資本主義を否定できない以上、資本主義の本質である適者生存も否定できません。
別に誰かと競うつもりはありませんが、適者となるべく倦まず弛まず、かつぼちぼちとがんばっていきたいと思います。