たまにはキャッチーなタイトルの雑記を一つ。
少し過激な言い分も含みますが、そこは何卒ご笑覧のほどを。
あまり過剰に反応しますと、図星を疑われてしまうというものですし(いきなり過激・笑)。
<目次>
世界の中心には誰もいない
今回は、不平不満の話です。
日常生活と同様に投資の世界においても、何か自分に都合の悪いことがあれば不平不満を垂れ流すという人種は、必ず一定数います。
そうした人種がいる事は事実なので受け止めるとして、そのような人種ははたして、自分の行為に何か意味があると思っているのでしょうか。
当たり前ですが、世界の中心には誰もいません。
首相でも大統領でも世界的企業のCEOでもない私たちは、世界にとっては取るに足らない存在です。
取るに足らない存在だということは、物事の変化はだいたい自分にとって都合が悪い方向に向かう、ということを意味します。
ままならぬ変化に不平不満を言ったところで、詮無きこと。
どうせ都合の良い変化など起きる方が少ないのですから、不平不満は愚痴程度にとどめ、変化をいかに利用するかを考えた方がいいと、私は常々思っています。
平等という幻想
ある種の人たちからは、「人は平等に扱われなければならない」という意見が聞かれます。
それは理想ですが、幻想です。
証券会社や銀行では大口顧客が優遇されますし、通常の生活においても上得意は優遇されます。それとは逆に、口のうるさい客が敬遠されるのも当然です。営業者の中にいるのは自動応答プログラムではなく、同じ人間なのですから。
客が店にどう扱われるかは、自らの行いが生み出したただの鏡でしかありません。つまり自らの身分と行いの結果、「(平等ではなく)公平に」扱われているだけのことです。
それでも平等を夢見るのは勝手ですが、仮にも投資家として「誰もが平等に」などという理想に立脚するのはどうかと思います。
投資の世界には公平があればマシな方で、平等なんてどこにも転がっていたことはありません。
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想像力の欠如
自分に都合の悪い変化が起きた時、それに不平不満を言うのは正当な権利だ、と思っている人もいるでしょう。
権利を主張するのは勝手ですが、想像力については欠如していると言わざるを得ません。
一つの店(営業者)への不平不満を言えば、その不平不満は必ず、他の営業者の耳にも届きます。
(*正当かつ礼儀を守った上でのクレームは、もちろんこの例ではありません)
私はクラウドファンディング業界なら些少は知っていますが、事業者同士が仲良しだとか裏で繋がっているとかは良くあることであり、世間話レベルで色々な情報が流れることも容易に想像できます。
「Aという営業者は(自分に不都合な変化があったから)ダメ、でもBという営業者は(自分に好都合だから)いい」
と公言すれば、Bの営業者は喜ぶでしょうか。当然、答えはNOです。
Bの営業者は喜ぶどころか、「つまりこの人は、不都合があったら手のひら返すんだな」と考えます。結局Aに対する不平不満は、回り回って自分に悪影響を及ぼします。
不平不満を公言するということは、「情けは人のためならず」の逆を行くだけのこと。分かっていて放言し、その報いを容認するなら個人の自由ですが、分からないのならばそれは想像力の欠如でしょう。
目指すはWin-Win
私はブログで情報発信をするにあたり、可能な限りポジティブなネタを取り扱い、ネガティブなネタは事実のみを簡潔に告げること、個人の感情における不平不満はできるだけ書かないことを心がけています。
クラウドファンディングにベタ惚れしている身として、私はなるべく賛同者でありたいと思っていますし、微力ながらも業界の発展に貢献できるのなら、回り回って自分にも良い結果となると信じているからです。
結果として、こういった行動は良い結果を私自身にもたらしてきました。
もし私が不平不満を公言していれば、こうはならなかったでしょう。結果として得る物は今よりも少なく、低い生産性に甘んじる結果となっていたはずです。
不平不満は生産性を落とします。逆に言えば、生産性の欠如が不平不満を連れてきます。
別にそちらを選ぶのも勝手ですが、その結果としての不利益は自分だけの物であり、文句を言わず受け入れるべき責任です。それこそが「公平」というものではないでしょうか。
まとめ
色々書いてきましたが、要は簡単なこと。
自分で選んだ選択肢なら、それに責任を持ち楽しくやった方が運も開けるしメリットもありますよ、というだけのことです。
そうは言っても人の身ですから、不平不満の一つはあって当然ですが、それを口にするには細心の注意が必要です。
褒める言葉や肯定的な言葉はぞんざいでも伝わりますが、不平不満こそユーモアとウィットをもって、伝わるように伝える工夫が欠かせません。誰も不平不満のマジレスなんて聞きたくないのですから。
界隈の中にいながら界隈の文句を工夫もなく言うことは、本人がどう思っていても、周りから見れば滑稽で馬鹿馬鹿しいものですし、なおのことその人が界隈で失敗していたのならば、負け犬の遠吠えに過ぎません。
会社の中でロクに結果を残せなかった者が、会社にいながら会社の不平不満をグチグチを吐き捨てれば、それを聞かされる周囲はどう思うかを想像してみれば理解しやすいと思います。
結局は「だったら辞めたら?」と思われてしまうのが関の山。集まってくるのは同じ穴の「不平不満」なムジナばかり。
無論、そちらを選ぶのも自由です。ただ私にはそんな姿は惨めに映るので、反面教師としていくだけのことです。