先日、「自己責任というのは優しい言葉」だという内容の雑記を書きました。今回はその続編、あるいは付記となります。
前回の記事はこちらへどうぞ。なお今回も微妙に黒ウサギモード入ってますのでご注意を。
<目次>
考えが先か、結果が先か?
前回の記事では、世の中には自己責任論が様々な形で存在していること、しかし実際は自己責任すら優しい言葉であり、世の中の事実は「自分の責任・行動によるかどうかに関わらず、自分に起こった結果は全て自分で引き受けて片付けなければならない」であることを書きました。
結局のところ、運が悪いのも境遇が悪いのも誰のせいでもなく自分が何とかしなければならないと。
これについて「それは人生うまくいったから言えるだけだ」という意見をいただきました。
FIREと言えば聞こえはいいですが要は競争から降りただけの私が、果たして人生うまくいったと言えるのか。それは私自身が判断することではないので脇に置いておくとして、これは裏表どっちにも取れる意見だと思います。
上手くいったから全部自責だと言えるのか、それとも全部自責だと言えるような生き方だから上手くいったのか。卵と鶏の話にもなってしまいますが、私の知る限り答えは後者です。
例えばまだ資産構築が途上であっても、「結局は全部自分で引き受けるしかない」という考えを持つ方は多くいます。一方、資産構築に成功した人はおおむねこの考え方です。
つまり「結局は全部自分で引き受けるしかない」という考え方は、人生うまくいくための必要条件なのでしょう。必要条件であり十分条件ではないので、この考えを持てばうまくいくというものではありませんが。
氷河期あるある?
詳細な統計で確認したわけではないのですが、私を含めた氷河期世代は自己責任論を主張しがちと聞いたことがあります。
自己責任を主張する根底にあるのは「お前らは俺たちが苦しいときに助けてくれなかった、だから他人を助けなくても正当化される」という考えだとか。
これはいささか悪意に振りすぎた解釈だとは思いますが、もし自己責任を否定するのであれば、上記のような「他人を助けなくてもいい」という考え方も氷河期生まれの責任ではないことになります。なぜなら氷河期がそのような考えに至ったのも、時代の不平等が理由だからです。
そればかりではなく、給料が低いのも時代が不平等だから、異性にモテないのも外見や性格が不平等だから。
何なら雨が降るのも郵便ポストが赤いのも不平等のせいと言ってしまえば、もう何も考えなくていいので楽ですね。言ってみればこんなものはホスピスみたいなものですけど。
というか、そもそも自己責任が良いとか悪いとか議論をする前に、自助の原則を心に刻むべきでしょう。
天すら、自ら助くる者しか助けません。況や世間をや、です。
人生が運だとしても・・・
人生が運だと言うのなら、現代日本に生まれただけでSレアを引いています。
この国には多くの問題点がありますが、それはどの国も同じこと。
少なくとも日本の治安は世界でもトップレベルであり、紛争や内戦に巻き込まれるリスク、あるいはそこらで野垂れ死にをするようなリスクもほぼありません。
そういった平和や治安というものは、無償・無条件で与えられるものではなく先達が作ったもの(意地悪な言い方をすれば、奪い取ったもの)であり、これからも維持し続けていかなければならないものです。世界が成長し続けると仮定しても、ある時点での富は有限であり競争社会であることは確かなわけですから。
平和も治安も、身近な例で言えば給料アップも黙っていれば手に入るようなものではないと考えています。
そう考えれば、人生が運だと主張したところで意味の無いこと。
運も実力のうち。運も実力のうちと思う人、運は運だからと諦める人。どちらが増えた方が世の中が良くなり発展するかは言うまでもありません。結論はスヌーピーの名言に集約されます。
(「配られたカードで勝負するっきゃないのさ・・・それがどういう意味であれ」)
まとめ:正しい自己責任
公正世界仮説、という考え方があります。
これはつまり「良い事は良い人にもたらされ、努力は報われ、悪人は懲らしめられる」というもの。世界は公正であるという仮説、あるいは希望的観測です。
しかし誰もが知っている通り、実際にはそんなことはあり得ません。
実際のところは良い事は良い人にもたらされる【かもしれない】し、努力は報われる【かもしれない】し、悪人は懲らしめられる【かもしれない】だけです。
世界に公平やら平等やらがあるという考えはただの理想か妄想の類で、結局は自分でトライ&エラーを繰り返し、七転八倒しながらなんとかしていくしかないわけです。
万策尽きたならその時はセーフティネットを利用「させていただいて」、臥薪嘗胆といったところでしょう。
まとめとして、私の考える正しい自己責任の形を紹介します。
自己責任は自分で感じるからこそ自己責任たり得えます。自己責任とは他者を責める言葉ではなく、自己の心構えの問題です。
しかしもしその心構えがなっていなければ、要は甘っちょろいことを言っていれば、他者から指摘されることもあるでしょう。それだけの単純なことなのだと考えます。