先日「FIREしてから20ヶ月、変わったことと変わらないこと」という記事をアップしたところ、おかげさまで多くの方に見ていただいたようです。
今回はその追記というか、もしくは被害報告と言うべきか。
<目次>
被害報告(笑)
先日アップした記事では、FIREしてから20ヶ月の所感として生活の変化、資産の推移、人間関係についてやこれからの方針について書きました。
データを見たところ、この記事はTwitter(X)上で3000くらいのアクセスがあったようで、FIREへの興味の高さを改めて認識しました。
(元の記事)
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そしてTwitter(X)上での反応の一部が以下の通り。
おまえらそこになおれ。開示請求してやろうか。
FIREには向いている、らしい?
とまあネタも終わったところで。
変態かどうかはさておいて、他人が私の生き方を真似するのは難しいというのは確かです(もちろんその逆も)。
そもそも誰かが誰かの生き方を真似ることは難しいものですが、では私の場合はどういう理由で真似るのが難しいのか考えてみたところ、一つ思いついたのは「何かをあっさり捨てられること」ではなかろうかと。
私は20年ほど会社員として働いていましたが、実はその間転職どころか部署異動すらしたことがありません。しかし業務内容はコロコロ変わっており、言わば部署内ジョブホッパーをやっていたわけです。
業務内容が違えば求められるスキルも違うので、業務が変わるごとに必要なスキルや知識を手に入れ、要らなくなったスキルや知識を切り離すことを当たり前のように行ってきました。
なので会社を辞めた今、会社時代のスキルや知識を切り離すのも私にとっては自然なことですし、もったいないとも思いません。
また興味があることが見つかったら、その時は必要なスキルを手に入れて対応すればいいだけですし、何もしたくなければその自由もあるのがFIRE生活というものだと思います。
(何でも屋とクラファン)
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変態も異常者も、優劣の問題ではありません
それに考えてみれば、FIREしている時点で一種の変態なのは確かです。
FIREを夢見る人は多いでしょうが、その中でFIREをガチで志す人は一握り。その上完遂するのは、どこかしら変態の所業です。
人と同じことをしてFIREにたどり着くのは難しく、何かしら人と異なる優れた側面(才能であれ行動であれ)が必要になります。人と違うことを指して変態と言われるなら、それは恥じるというより誇るべきことです。
これまでの世の中にあった「定年まで労働、退職金、後は年金で悠々」という古い標準を否定するのが投資家の多くであり、その中で競争から降りる選択をしたのが私を含めたFIRE民です。
そういった人々は、古い標準から見れば異常者であり変態に見えるでしょう。しょせんは視点の違いだけのこと、どちらが優れている劣っているという問題ではありません。
他人の目を気にするなら迎合すればいいだけ、我を通したければ異常を誇ればいいだけ。どちらにもメリットがありデメリットがあるものですから、状況に応じて使い分ければいいことです。
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まとめ
人とは違った投資手法をメインにし、大多数と異なるFIREという道を選び、元の会社で培ったスキルや人脈を退職とともに切り離すという行為は変わり者と呼ばれるに十分。
変態と呼ばれることには語感的にちょっとだけためらいもありますが、変わり者やら異常者と呼ばれるのなら胸を張って誇ろうというものです。変わっているからこそたどり着ける場所もあるわけで。
多くの人のお手本になるロールモデルとは会社や組織の中だから存在するわけで、投資にロールモデルはありません。むしろ異端な少数派がより多くの利益を得るのは、投資の世界ではあるあるな話です(もちろん、それだけ失敗も多いのですが)。
ましてやロールモデルを外れて競争から降りた先がFIREなのですから、FIREにロールモデルは存在しません。
だからと言って「我こそがロールモデルだ」などと嘯くつもりはありませんが、会社時代に積み上げたものをあっさり投げ捨て平日からサウナ入ってビール飲んでいる無職ウサギも、FIRE後の一つの姿であることに違いはないと思っています。
∠(゚Д゚)/イェーイ