今回は投資と関係のない記事になります。乱文ですが、よろしければお付き合い下さい。
私はとある上場製造業に勤めている兼業投資家です。
このたび直属の上司と一対一、しかもクローズドスペースで1時間以上の面談がありましたので、その顛末を記します。
<目次>
ゆるリタイアの道半ば、今日も働きます
まず私の職場での立ち位置について。
一言で言えば、何でも屋です。
製造業とは言えそこそこ規模の大きな会社ですから、社内には幅広い職種があります。その中で私は海外工場の直接支援から国内開発拠点における開発研究、それらの技術支援やバックオフィス業務、対外業務を含む多くの業務を行っています。
もちろんこれらの業務を同時に行っているわけではなく、時と場合に応じて色々な仕事をジョブホッパーしています。
頼まれたり指示されたりした業務を断る理由もないので、自分なりに調べて何とかやっていくこと十数年。
気付けばこんな立ち位置になっていました。
仕事は嫌いではありませんが、仕事をしない生き方というものも目指してみようと、FIRE(経済的独立と早期退職)を志しました。
その途中で、私にはFIREよりもさらに合った方法があるのに気付き、それを「ゆるリタイア」として提唱・実践することにしました。
FIREとゆるリタイアの違いは、下記の記事をごらん下さい。
ゆるリタイアの最終目的は簡潔であり、「会社と対等の立場になること」です。経済的独立はそのための手段であり、「仕事が嫌いではない人向けFIREもどき」と言ったところでしょうか。
面談の顛末
最初に職場面談、それも長時間のものがあると聞いた時には、タイトルにある通り「私儀 このたび」からタイトルにつながる言葉をしたためる時が来たかと思ったのですが、結論から言えばそんなことはありませんでした。
どちらかと言えばその逆で、面談の内容は簡潔に言えば昇進の打診でした。
まず秒速で断りましたが。
なぜ断ったかと言えば、職制がもう一つ上がることは「ゆるリタイア」における大きな目標、「職場の中で居心地の良い場所に居続ける」にそぐわないからです。
もう一つ職制が上がれば立派な管理職、残業手当は出なくなるし休日出勤は常態化するし、その割には総収入はそれほど上がらないしで良いことがありません。
とは言えこれも交渉事。言下に否定して部屋を出るなんて、実際にやったところで百害あって一利もありません。退職勧告だったらその手もありますが。
どういう背景やら事情があるのか、なぜ私なのか、などについて説明を受け質問を返したりしました。
絶対に譲れないこだわり
結果として会社や組織の背景、事情、私に打診した理由については納得できる説明を受けたと判断しました。
組織(上司)から私への依頼は、一言で言えば「再編されるグループのリーダーになり、いずれはグループ長になってほしい」というもの。
それに対して私は、
①何でも屋としての実務は決して取り上げない
②昇進は拒否する
③というか数年くらいで辞めるかもよ?
という条件を了承の上なら、現状の業務に加えてリーダー役を引き受ける(ただし適性に関しては保証しない)、と回答しました。
特に①については、何があろうが決して譲れないと何度も言いました。
私は自分の手と頭を使って作ったもの以外、興味もありませんし価値も見いだしません。私がおそらく唯一譲れないこだわりです。
ですから何でも屋の実務ができなければ、会社に「いてあげる」理由はどこにもありません。
私が会社をいつ辞めても良い状態であることを含め、上司には相当の時間をかけて説明し、理解は得たハズです。
・・・実際どうなるかは今後に乞うご期待、というところですけど。
もちろん、打算もあります
当たり前ですが今回の件を引き受けたのは、打算もあります。
何でも屋の実務を取り上げない、職制も変わらないということは、要はこれまでの業務に加えてリーダーとしてのとりまとめ業務が増えるということだけ。
リーダー業務には何の興味もありませんが、やれば多分できるでしょう。無駄に多芸なので。
そしてリーダー業務を持つということは、さらに裁量範囲が増えることを意味します。
私は何でも屋という立場を生かし、会社の中で居心地の良い場所を追求した結果、非管理職ながらかなりの裁量を持つに至りました。
結果を出すことを大前提として、仕事のやり方、優先順位、労務管理まである程度の自由が効きます。
簡潔に言って、結果さえ出してれば仕事サボってもバレませんし文句言われません。
なぜかというと、誰も私の仕事の中身を理解していないからです。
現在の業務内容に、興味はなくとも対応可能なリーダー業務が追加されることと引き換えにして、さらに私の裁量が増えるのなら、それは悪い取引ではないと判断しました。
これが今回、私が組織の依頼を引き受けることにした理由です。
(参考記事)
www.sallowsl.com
何でも屋についての一考察
ツイッターでも呟いた内容を再掲します。
何でも屋(特に、大きな組織の中における何でも屋)というのは、人為的に作るのは難しく、突然変異的に自然発生するものだと思います。
何でも屋を意図的に作れなくもないのですが、そうすることは原則として人的リソースの無駄遣いになります。
何でも屋を意図的に作るには、最初から何でもできる人材を突っ込まないといけないからです。
また、昔ながらの組織では良く勘違いされることですが、何でも屋が求めているのは昇進ではありません。
彼(彼女)は何でも屋としての希少性を自覚していませんし、最高の評価が欲しいわけでもありません。
人並みちょっと上程度の評価をあげて、後は口出しせずに自由にしてあげれば、力を発揮してくれます。たまには「その多芸さに助かってるわー」と一言もらえれば、それで十分です。
私は何をしても中途半端で、スペシャリストにはなれそうもありません。
だからゼネラリストを目指して、時には冷や飯を食いながらここまで来ました。多分、選択肢はまちがっていなかったと思います。