今回は雑記で、上司と部下のありようについて。
組織論を語れるほど組織の上にいるわけではありませんが、一応上場会社の中にいる人間の視点で紹介します。
私はそこそこ裁量がある身ですが、立場としては非管理職、つまり以下の記事においては「部下」側です。
<目次>
ロジハラに関する一意見
まず今回の話題は、それなりに大きな規模の製造業(日系・上場済)に勤めている私の視点である、ということはご了承下さい。
会社や組織には色々な形があり、業種によっても色々な文化があり、一般論として語れるものはありません。
あくまでも私の場合、ということです。
今回の話題の始まりは、こちらの記事です。
記事の中で、ロジハラについてあるワイドショーは、「論理的に正しい指摘であっても、相手を思いやる心がない人」「真っ向から正論をぶつけて困らせたり優位に立とうとする人」と紹介していたそうです。
記事の中の弁護士も言っていますが、この定義については私も疑問です。
思いやりのなさや正論で詰める事は、それ自体がハラスメントではありません。
ハラスメントはあくまでも「業務上の適切な範囲を超えて」が成立条件であり、極端な言い方をしてしまえば、受け手がどう思おうがその範囲を超えなければ、ハラスメントはただの言いがかりです。
部下に帰する責任がない(少ない)場合に大声を上げるのは、内容が正論だろうが感情論だろうが問題。
逆に、部下に帰する責任が十分ある場合、正論でもって叱責するのはハラスメントとは言えません。それだけのことだと思います。
上司と部下の関係性
組織の中では、上司と部下の関係性について、様々な意見があります。
私の思う上司の役目は、「方針を出し」、「必要に応じサポートして」、「万が一の場合は責任を取る」こと。
さらにその上、経営層の役目は、「どんな理不尽であれ最後に詰め腹切る」ことだと思います。
ただし、ここで言う「上の役目」というのは、単独で存在するものではありません。
対になる「下の役目」というものもきちんとある、というのが私の意見です。
部下の役目は、「適切に指示を仰ぎ」、「目標に対して効果的手法を提案し」、「適切に助言や協力を求め」、「計画に基づいて適切な業務執行を行い」、「いざというときは上に擦り付けて逃げる」こと。
これができない下なのに、上にばかりあれやこれやと要求すべきではありませんし、そんなことをしたらそれこそ正論で詰められても、ロジハラだなんだと文句を言う資格はありません。
上と下は責任範囲こそ違えど、持ちつ持たれつであるべきです。
特に最後の「いざというときは上に擦り付けて逃げる」こと。
偉そうな物言いで恐縮ですが、これが分かっていない人が多い、と思います。
逃亡の重要性、逃亡の作法
逃亡は重要です。抱えた爆弾が手に負えないと判断したなら、きちんと上司に擦り付けるべきで、放置したまま爆発したのなら、それは部下のミスです。
ですから擦り付けて逃げることは正しいことであり、上司だってかつてはみんな通ってきた道です。
ただ気をつけなければならないのは、擦り付け逃亡にも「作法」がある、ということです。
例えばの話ですが、やらかした際に
「ここまでやりました! 力足らず申し訳ありません! これが現在の状況、これがまとめた関連資料、これが今後の改善対策です! 後はお任せします!(90度お辞儀)」
とやるなら、上だって「しゃーねえな」になるでしょう。
部下が適切に対応し、作法に則って擦り付けてきたのなら、その責任を取るのは上司の役目であり責務です。
しかし同じやらかしでも、
「できませんでした(にへら)」
などと作法を無視した場合は、返ってくる反応はシンプルに「○すぞ」になります。
・・・え、自分が悪くないのにそこまでできないし、謝りたくない?
であれば、会社勤めは向いてないので独立をお勧めします。そちらの方が茨の道だとは思いますが。あとそもそも、理不尽でも頭を下げられないのなら、独立しても通用しないと思いますが。
チームと多様性
上司という存在は、そのチーム(グループ、組織等なんでもいいのですが)のパフォーマンスを、可能な限り発揮させるためにあります。
これはどんな会社であっても、ほぼ共通の定義でしょう。
ただしここで勘違いしやすいのは、リーダーの目的は「チームのパフォーマンスの最大化」であり、「個別メンバーのパフォーマンスの最大化」ではない、ということです。
チームにはそれぞれチームの色、というものがありますから、そこから大きく逸脱した行動は、リーダーと言えどあまり取れません。
部下一人一人の性格に応じて対応を補正することはできても、人によって大きく違う対応をすることは、チームの一体性とパフォーマンスの最大化には寄与しません。
上司に上司の役目を望むのなら、部下としてはこの点を気に掛ける必要があるでしょう。
チームは一人では構成されるものではなく、リーダーが見ているのはチームであり、そして個々人の多様性はチームと調和することを前提として発揮されるべきもの。
チームのパフォーマンスを最大化するのは、リーダーのみの責務ではありません。
部下には部下なりに、「上司がチームパフォーマンスを最大化するのをフォローし、手助けする」という責務があります。
例えある部下が、叱っても伸びないタイプだったとしても。
今ここで叱らないことによる、他の部下(ひいては、チーム全体)へのデメリットの方が大きければ、叱る。その適切な判断を行うのが、リーダーの役目です。
大事にする、という言葉に隠されたもの
最後に、「大事にする」という言葉の裏に隠されたものについて。
会社であれ組織であれ、どこでも「メンバーを大事にする」というのは当然のことです。
ですが、この大事にするという言葉の裏には、これもまた当然のこととして
「その個人が会社(組織)に貢献すること」
を前提にしています。
会社は慈善組織ではありませんので、会社のパフォーマンスに貢献しない個人を大事にはしませんし、何ならメンバーから排斥しようとするでしょう。貢献しない人間は、他のメンバーにも有害です。
「組織に貢献する個人は大事にされる」が真として、その対偶を取ると、「大事にされない個人は、組織に貢献していない」もまた真になります。
貢献が先か、大事にされるのが先か。鶏と卵の話になってしまうかもしれませんが、従業員の視点からではなかなか気付かない、重要なことだと思います。
会社や組織は、個人の集合体です。その集合体の重要度が、構成員一人一人で平等と仮定(実際は違いますが)しても、個人の重要性はより強い組織の重要性に塗りつぶされるのが道理です。
こちらは一人、相手は複数、多数決の原理です。
ですからそういう場合、変わるべきは組織ではなく個人、ということになります。
(例外は、組織が違法行為に手を染めている場合です)
個人と組織のどちらが正しいのか、という理屈にはならないことに注意して下さい。法的根拠のない正しさなど人によって千差万別であり、個人にはいざとなれば組織を抜ける、という自由があるわけですから。