クラウドファンディングという言葉は、最近認知度が上がってきていると思います。
ただし実際一般に認知されているのは、私のメインとしている投資型クラウドファンディングではなく、「非投資型」のサービスでしょう。
今回は非投資型のサービスについて、クラウドファンディングの投資家からの意見を書いてみようと思います。
なお私は、非投資型のサービスを否定する立場ではありません。私自身、非投資型のクラウドファンディングのいくつかに出資している身です。
<目次>
クラウドファンディングの市場規模
新型コロナにより公助だけではなく自助、共助が重要視される中、「共助」を担うクラウドファンディング(特に購入型)は最近大きく伸びてきました。
*下世話な話ですが、共助というのはテレビ的にも取り上げやすい「キレイな」ネタでもありますからね。
ただその一方で、金額ベースにおける市場規模は2019年時点で「融資型・投資型>購入型」という大小関係であり、おそらく今後しばらくこの関係が崩れることはないと思います。
(購入型クラウドファンディングの市場規模)
(融資型・不動産投資型クラウドファンディングの市場規模)
・出典:クラウドファンディング市場調査報告書
(日本クラウドファンディング協会:2020年6月19日)
クラウドファンディングの本質
「クラウドファンディング」という言葉は、群衆(Crowd)+資金調達(Funding)を合わせた言葉で、現状に即した意味としては「ネットを利用して不特定多数の人間から資金を調達すること」を指します。
その調達した資金を何に用いるかで、「融資型」「購入型」などとクラウドファンディングの種類が決まってくるわけです。
(クラウドファンディングの種類については、こちらの記事をどうぞ)
www.sallowsl.com
では、クラウドファンディングに出資するかどうかの判断基準はどこにあるのか。
投資型クラウドファンディングの場合なら、投資するリターンとリスク(=リターンの不確実性)を天秤にかけて、投資するかどうかを判断します。
そして私見ですが、非投資型のクラウドファンディングでも、判断基準は本質的には変わらないと考えています。
非投資型クラウドファンディングの判断基準
非投資型クラウドファンディングへ出資する判断基準は、その人それぞれの価値観において
(出資する資金)<(物理的リターン+出資者の満足感)
となった時だと考えます。
投資型ではこの「満足感」の影響は大きくありませんが、非投資型では物理的リターンがあまり用意できないため、相対的に出資者の満足感をいかに充足するかが重要になります。
以前にも例として挙げたことがありますが、物理的リターンよりも満足感が大きく寄与した案件としては、「冷泉家に文化財を保存する土蔵を造りたい」というファンドが好例だと思います。
リターンの一つは「冷泉家芳名録にお名前記載」というもので、物理リターンとしては皆無と言っていいでしょう。
ただ冷泉家の芳名録ということは、おそらく日本最後の日まで名前が記録されるという事を意味しており、これが出資者の満足感に繋がったものと考えられます。
自分を助けられないなら、他人はなおのこと
ここからは私の主観による意見となります。
またこの意見は、非投資型のクラウドファンディングに出資する人へ向けたものではありません。どんな案件でも出資する自由はあるからです。
ここで私が意見する対象は、あくまでも非投資型のクラウドファンディングを募集する側です。
私が投資するクラウドファンディングは、以下の2条件をある程度(ここ重要)満たす案件です。
①案件に社会的意義がある
②善意の搾取ではない
①は簡単なことで、私は個人の望みを叶えるため「だけ」のクラウドファンディングなら、参加するつもりはありません。もちろん、そこに何らかのリターンがあるなら話は別ですが。
自助も公助もある中で、個人の望みのためにクラウドファンディングを利用したとしても、「いやそれならバイトでもして稼げよ」で終わってしまう話であり、共助を頼むための作法がなっていないというだけのことです。
労働で稼げない事情がある、という意見もあるでしょうが、自分自身を律して助けられない者に他者を助けられるとは思えません。
こういった「質のよろしくない」非投資型案件は、最近でこそあまり見かけなくなってきましたが、募集するサービス自体の質を下げてしまいかねないので、プラットフォーム各社で一定の審査は行っていくべきだと思います(すでに行われているとは思いますが)。
善意の搾取には、大いに反対します
②の善意の搾取については少し前の話ですが、有名なドラマの「逃げ恥」で、人の善意につけ込み労働力を無料で使おうとする行為は「搾取」である、という主人公の発言がありました。
クラウドファンディングにおける善意の搾取は、相対的に弱者と言われる者(物)を利用して、「出資しないことに対する罪悪感」を植え付けることで人の善意につけ込もうとする案件を指します。
個人の意見ですが、動物関係のクラウドファンディングではこのパターンが散見される印象を持っています。
*繰り返しますが、出資する側の行為をどうこう言うつもりはありません。あくまでも案件を募集する側の問題です。
例えば以前に和歌山で、ガバメントクラウドファンディングでの不祥事がありましたが、これも広義では善意の搾取でしょう。
少なくとも人の善意をあてにしてクラウドファンディングを募集するなら、募集主はより一層の努力を行う必要がありますし、収支報告書をエビデンス付きで提出するのも義務化すべきだと思います。
往々にしてこういう案件では、①の社会的意義も果たさないものが多く、私の出資対象には引っかからないことになります。
人を動かす三原則
古代ギリシャより、人を動かすには三原則があると言われてきました。
それはロゴス(論理)、パトス(情動)、そしてエトス(信頼)です。
この三原則は、クラウドファンディングで人を動かし多くの支援を得るための条件としても共通していると思います。
非投資型クラウドファンディングにおいては多くの場合、個人や少人数の団体が募集元になっているため、仲間内を除いてはエトス(信頼)はあまり期待できません。
であれば、残るは二つ。
つまり物理的(金銭的)リターンでロゴスに働きかけるか、あるいはリターンに共感、ロマン、ユカイと言ったものをちりばめてパトスに訴えるか、そのどちらかです。
非投資型では物理的なリターンはあまり期待できないため、どちらかと言えばパトスに訴えかける方が重要でしょう。
投資型クラウドファンディングではどうしても実利重視になってしまいますが、そのバランスを取るためにも、私はこれからも琴線に触れるリターンや意義、ロマンやユカイなリターンがある非投資型案件に参加していきたいと思います。