今回は自分語り多めの雑記となりますので、あらかじめお断りしておきます。
私は2021年10月末に勤め先を退職しFIRE生活に入ったわけですが、1周年を過ぎたところでそれまでの軌跡を振りかえってみることにしました。
<目次>
こんな感じでFIREしました(前編)
このご時世では珍しいことかもしれませんが、私は最初に入社した会社にずっと勤め転職を経験したことはありません。
(専業投資家という名前の無職へ転職したじゃないかと言われるなら、それはその通りです笑)
FIREの軌跡を前後半に分けて思い返してみると、前半部はそれほど大きなイベントはありません。
普通の会社員としてそこそこ働き、そこそこ遊んでそこそこ散財し、ある程度(確か500万? 700万?)の資金が貯まったところで投資に踏み込むことにしました。
ちなみにその頃の年収は、額面で500万円ちょっとだったと記憶しています。
当時は今ほど投資の情報が手軽に手に入る時代ではなく(*)、また私自身も投資の勉強に割ける時間が十分ではなく、投資は勝ったり負けたりという状況でした。
*どのくらい昔かと言うと、会社員最初の頃は懐かしの「テレホーダイ」全盛時期だったぐらいです。
そんなわけでリーマンショックの直撃を受けたり、ライブドアで株を溶かしたり、FXロスカットをしたりと地雷を散々踏みつけてきた一方、政権交代から黒田バズーカの間ではうまく投資戦略がハマり、資産を倍近くまで増やしたりもしました。
人に語れる手法などありませんが、その頃の私はそれなりにトレードしていたようです(トオイメ
こんな感じでFIREしました(後編)
手持ちの資金を倍近くまで増やし、今から10年ほど前の資産は4000万円。それなりに役職も上がったことで、当時の年収は額面で700くらいになっていました。
複数のメディアや出版させていただいた本でも話している通り、この当時投資で大きな利益を上げたのにも関わらず、その結果に疲れのようなものを感じたのが一つの転機です。
大損をして疲れるならただの退場ですが、大きな利益を上げて疲れるというのは向いていない証拠だと当時の私は認識していました。
これと前後して融資型クラウドファンディング(=ソーシャルレンディング)に出会った私は、利確した資産をクラウドファンディングに投入し、以後はクラウドファンディングをメインとした投資や情報発信を行っています。
さらにタイミングというものは重なるもので、この頃から社内ジョブホッパー(何でも屋)としての私の仕事が忙しくなり、炎上した海外工場への落下傘部隊として現場対応しつつ国内管理業務をリモート対応するとか、今考えても首をひねりたくなるような仕事を行っていました。
(海外工場のスタッフが役所関連の書類を「日本にメールしても、内容をチェックするのSALLOWさんだからここで確認して」と言いつつ、現場で設備いじってた私に持ってきて思わず吹き出したのはいい思い出)
海外出張している間は手当やら残業やらで額面は1000前後の生活が数年、一方支出は日本にいる時より減少し、かつクラウドファンディングによるインカムも入るため資産は徐々に積み上がっていきました。
こんな感じでFIREしました(完結編)
純資産(正確に言えば投資用資金)が1億円を超えたのが2021年3月。
このあたりからそろそろソフトランディングをしようと思い、会社内で私に新しい仕事(しかもやりたくないマネジメント業務)を振ろうとする気配が見え始めたことから、退職カードをチラ見せすることに決めました。
もちろん、このカードを見せたら後には引けないことは承知済みです。
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そしてその後、2021年の10月末をもって20年前後勤めてきた会社を退職。
FIRE(その当時で言えばアーリーリタイア)を漠然と考えてから10年近く、実際に計画を行ってから5年ほどで、一つの区切りを迎えることになりました。
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FIREしてから1年あまり、心構えとして持っているのは「FIREしたのは自分の勝手」ということです。
私のFIREは誰に言われたわけでもなく、自分がそう望んだことを叶えただけ。
FIREするも労働を続けるも本質的には同じ価値でしかないのですから、一つのことを成し遂げたからといって気持ちを大きくしないよう心がけるようにしています。
FIRE後、心持ちの変化
FIRE後に心持ちが何か変わったかというと、主観ではそれほど変わっていないと思います。
もともと会社員生活でも最後の半年くらいはほぼリタイアの心持ちというか、要するに サボ 自由気ままに属人化された仕事をやっていましたので、心持ちとしては会社に居ながらREしているようなものだったのも影響しているでしょう。
あともう一つ、人生は連続しているのが本来の姿であり、人生がいきなり変わることはどんな方向にせよ幸福につながるケースは少ないと、私は考えています。
最後に一つ。
私の世代はいわゆる氷河期世代と言われ、社会問題の一つとして紹介されることもあります。
ただ結果論かもしれませんが、氷河期世代に生まれたことは悪いことばかりではなく、ある意味で厳しい世の中で鍛えられたとも思っています。
そもそも人間誰しも生まれる時代を選べませんし、現代の日本に生まれただけでSレアを引いたのは間違いありません。
その上で氷河期世代として生まれたことで身についた自助・自責の考え、結果を自分で引き受ける事を含めた自己決定の行使、会社を含めた他者を基本的に善人と思いつつ信用しすぎないこと等々。
これら全て自律した生活のために必要であり、ひいてはFIREの助けにもなった考え方だと思っています。