今回はクラウドファンディングではなく、投資全般に関する雑記です。
また少し前にXで話題になった内容についても取り上げます。なお黒ウサギ成分は薄めです。
<目次>
どっちを信じる?
先日、BUSINESS INSIDERに以下の記事がアップされました。
ゴールドマン・サックスの予測として、以下の内容が記事で書かれています。
「S&P500への投資は今後10年間、年平均で3%のリターンに留まる」
「2034年までS&P500が債券に劣る確率は約72%、インフレに遅れを取る確率は33%」
この予測は、歴史的に見て株価が高すぎる(PERが38倍)こと、インデックス指標が特定の大企業(テック企業など)に集中していること、また今後は景気後退が多く発生すると予想することなどの要因によるそうです。
一方でこの記事がアップされた数日後には、ヤルデニ・リサーチ社長による反論の記事がアップされるなどの動きもあります。
さて、どちらを信じるべきでしょうか。
と言ってはみましたが、どっちを信じたとしても大きな違いはありません。どちらを信じても、結局はバイアスがかかっている思考だということを認識することが重要なんじゃないかと。
過去と未来のS&P500
S&P500には銘柄の入れ替えがあるから、その時に好調な企業が組み込まれるから成長を続けるという意見があります。
あれだけ勢いがあったインテルが落ち目となり、その代わりにグラボメーカーだったNVIDIAが台頭してきたのもその一例。もし今後NVIDIAに同様の凋落があったとしても、別の会社が出てくるのならS&P500等の指標は安定的に推移するでしょう。
ただそれも全体の景気が良いことが条件で、景気が悪くなれば「好調な企業」がネタ切れすることも十分考えられます。
一方で現在は新たな産業革命の最中だという意見もあり、今後しばらく(GSの予想している10年程度は)成長が続くという予想も一定の説得力を持ちます。
(S&P500 1970年からの長期チャート)
(引用元:https://nikkeiyosoku.com/spx/chart/)
これまた先ほどの問題と同じく、どちらを信じるべきかはそれほど重要ではなく、どちらを選んだとしても「自分はそっちを信じたかった」というバイアスからは逃げられないという認識を持てるかどうかです。
バイアスに縛られているという視座を持てるのなら、自分自身の投資手法に疑念を持つこともできるでしょう。例えそれがどんな投資手法であっても。
インデックスと学習
S&P500に投資する方法として人気なのは、VOOや1655などのインデックス投資(ETF)でしょう。
それで思い出したことがあるのですが、少し前に「インデックス投資を行うのに読書(学習)は必要か?」という話題が持ち上がりました。これについても私の考えを書いていきます。
結論から言えば、インデックス投資を継続するなら、読書や学習は不要です。
投資全般に対しての読書や学習は必要です。もし投資をやるかどうか迷っているのなら、名著と呼ばれるものを読んでもいいでしょう。もっともその場合でも1冊借りて読めば十分であり、あとは実践あるのみだと思いますが。
投資を始めるのであれば、投資の根底にある基礎的な理論やメリット・デメリットをある程度理解しなければ、多くの金額を投下するべきではありません(*)。
*少額ならまず投資を試してもいい、という意味を含みます
その結果としてインデックスを始めることを決定したのなら、その継続に際して読書も学習も不要です。インデックスは素人でも市場平均と同様の成績を手間なく上げられることが最大のメリットですし、そもそも学習によってインデックスのリターンは変化しませんから、学習は無駄ですらあります。
インデックスで必要なことは「相場がどうあれ愚直に積み立てるだけ」。
そういう意味で言えば、必要なのは投資本ではなく精神修養や座禅の類です。読書は重要ですが、それならもっと人生を豊かにしてくれる書籍を選ぶべきでしょう。人生全体から見たら、投資など些事でしかありません。
投資における学習の意味
投資において読書や学習が必要になるのは、2つのケースがあると考えます。
1つは、投資を始めようとする時の基礎的な部分。これは先ほど書きました。
そしてもう1つは、自分の投資手法を続けるかどうかを判断・決定する場合です。
先に書いた通りインデックス投資を継続するなら学習は不要ですが、銘柄を乗り換えたりインデックス以外の投資を行おうとするのなら、様々な知識を身につけて適切な判断を行う必要があります。
つまり読書や学習はインデックス投資(その他一部の投資を含む)の継続には不要であり、再考や中断を思考する際にこそ必要なわけです。
記事の最初で取り上げた通り、S&P500(あるいは他の指数)がいつまで好調かは誰にも分かりません。そして人生は有限です。指標が長期的に成長するという前提をおいても、自分が生きている間に果実を享受できない可能性は排除できません。
だとすれば常に現在の投資手法に疑念を持ち批判的に思考し、学習を通じて手法を続けるべきか続けざるべきかを考えるのは当然です。これはインデックスだろうが個別株だろうが、クラファンだろうが平等に同じです。
「適切に思考した継続投資」と「思考停止での継続投資」は平時こそ同じに見えますが、いざ問題が顕在化した時には大きな違いが出るものです。
投資の歴史より遙か古い名言を借りるなら、考えることを止めた人間は葦一本の価値しかありません。