今回の雑記は、ツイッターで見かけた内容に端を発します。
FIREについての批判的な意見から、FIREの行く末、そして情報の取捨選択について自分なりに膨らませてみました。
<目次>
FIREへの批判
ここ最近でブロガーの方に数名、FIREに関する本を出版されたり、あるいは取材を受けられた方の情報を目にしました。
出版した本にも、取材の記事にもレビューが付きものですが、レビューの中には批判的な意見が多いように見受けられます。
と言うよりも、肯定的な意見はレビューに顔を出すことなく「なるほど」と納得し、批判的な意見ばかり言葉として形をなすため、批判が多いように見えるのでしょうが。
高収入で若くしてFIREした方であれば、高収入だから参考にならない。
収入がそれほどでもない方がFIREすれば、実家暮らしだから/生活を切り詰めすぎていて参考にならない。
海外でFIREした方がいれば、海外移住など参考にならない、等々。
批判する人にはその人なりの一理はあるのでしょうが、二理は存在しません。
何よりも、多分に妬み僻みを含む意見であることは間違いありません。
ブログでこんな文書を書く程度ならともかく、書籍や記事をまとめるのは大変ですしFIREだって大変です。それを経験したことが無い者ばかりが、自分では動かず無責任に言葉だけを投げつけるのは、残念ながら世の常です。
万人の共通解は∅
まずそもそもの前提として、人並みの才能と人並みの努力をして、人並みの資産構築をして人並みに贅沢や散財をするのなら、人並みの資産しか築けないのは当然のことです。
人並み以上の資産を築き、定年以前にリタイアしようと思えば、何か人並み以上の事を行う必要があります。
かく言う私だって秀でたものはありませんが、人並み以上の資産を積むに至ったということは、きっとどこかで才能を発揮したか努力したかなのでしょうし、節約に節税、資産構築も行ったのでしょう。
私のことはさておいて、FIREに関する本や取材を目にしたら、すぐに「**だから参考にならない」と批判を言うよりは、情報を取捨選択して何か糧になることはないかと考えればいいのに、と思います。
人は皆違っているのが当然で、万人の共通解は∅(空集合)です。
しかし同時に、誰かの境遇が一切参考にならないというのも希有な例ですし、なによりも周囲の情報を貪欲に取り込んで自分の糧にしようという態度こそ、自らの人生を豊かにするために重要なことでしょう。
裏返せば、まだまだチャンスタイム
もっとも、これだけFIRE本を批判する声が大きくなるということは、悪いことばかりではありません。
FIREを達成した人を多くの人が批判するということは、FIREはまだまだ根付いていないということであり、なまなかな覚悟ではFIREに到着できないことを意味しています。
そして簡単にたどり着くことができないからこそ、たどり着いた者は恩恵を独占的に享受できるわけです。
逆にもしもFIREが労働者の中で、労働から脱却する選択肢の一つとしてプレゼンスを得るようになるなら、その時こそ注意が必要でしょう。
FIREという生き方は支配者層、経営層にとっては都合が悪いものなので、FIRE活動が一般に広まれば何らかの規制が入る可能性があるからです。
そう考えるとFIREを志す者はあまり公言せず、ひっそりと影に隠れて準備を整え、FIREを成功したとしても世間の批判に真正面からは当たらず、へらへらとかわしていく心持ちを持つことが大事でしょう。
世間の大勢に真正面からぶつかっても、益になることは何一つありません。
ゆるリタイアを考える
FIREについては以上ですが、一方で私が提唱・実践している「ゆるリタイア」について考えてみます。
FIREは経済的自立と早期退職を目指しますが、ゆるリタイアにおいては経済的自立を確保しつつ、会社の中で居心地の良い居場所を作ることを並行で行います。
そのぬるま湯に浸かったまま、会社の福利厚生などを最大限に享受しつつ資産を膨らませ、居心地の良い場所が奪われそうになった場合は「退職」のカードで抵抗することが基本戦略です。
(関連記事)
www.sallowsl.com
一度FI(経済的自立)を確定させれば、「いつ辞めても良いモード」になるので、会社の中で「それはおかしい」と思うことに積極的に噛みつくことが可能になります。
結果として会社内における不条理や非合理を炙り出すことができれば、ある意味で会社に対する貢献でしょう(既得権益を持つ層にとっては、頭が痛い事態かもしれませんが)。
このように考えると、FIREとは異なり「ゆるリタイア」であれば、「FIに到達したよ、いつ辞めてもいいよ」と公言するのは決して悪いことではなく、むしろ会社内において良い結果(自分事であれ、会社事であれ)をもたらす可能性が高いように思います。